見出し画像

80歳、脳梗塞から奇跡の復活

わたしはいろんな人と働いている。
一番若いのは今年からバイトを始めた次男。
大学生、子育て中のお母さん、独身のお兄さん、70代の元気なおばちゃんは3人いて、83歳のおばあちゃんまで、様々な年齢層の人と働いている。

発達障害があるのは次男だけだけど、誰にでも得意なこと苦手なことはあるので、適材適所を心掛けている。
誰かがものすごく負担をかけてしまったりということはあまりなく、お互いにうまく支え合って回っていると思う。

男性最年長は80歳の叔父。
叔父は去年脳梗塞になった。
それまで長年一緒に働いていたのに、ある日突然救急車で運ばれて入院。一時は一番重い要介護5で寝たきりだった。
少し良くなってリハビリ専門の病院に転院した時、見舞いに行った叔母から
「また仕事がしたい、って言っているんだけど、さすがに迷惑だよね」
と相談された。
その時は左半身に力が入らない状態で、着替えや身の回りの事も難しかった。
周りの人はほとんど、もう叔父さんを雇うのはやめたほうがいいと言った。
お願いできる仕事がないし、年齢的にも引退する年だし、仕事中にまた倒れたら困るし、お給料払うめーめちゃんが大変と。

9年前亡くなった私の父は、死ぬ間際まで誰かの役に立ちたい人だった。
叔父も同じだと思った。
「仕事がしたい、と本人が言っているのならやったらいい。
昼間みんなが仕事している間、一人で家にいたってお酒飲んで倒れてるかもしれないし、それならうちに来てリハビリがてら生活のリズムを作った方がいい。
迷惑かも、って本人も家族もわかってるんだよ。
でも自分が言われたくない、自分の子供が言われたくないことを、私は叔父さんに言いたくない。
誰だっていつかは自分や家族がそうなるんだよ」って他の従業員に話をして納得してもらった。

叔父さんは退院して間もなく、仕事に戻ってきた。
最初は10分とか30分とか来てもらったけど、ぼーっと立ってるだけで言葉も表情もなくて。
別人のようだった。
話しかけてもうまく返事ができないし、指に力が入らないから今までできていたことができなくなっていた。

最初は変わってしまった姿にビックリして、私たちもかける言葉がないほどだった。

【「できる」と「できない」の間に「手伝えばできる」がある】
と子供たちの主治医(児童精神科医)も言っているけれど、
誰でもそうだと思う。

叔父さんができないことはこっちでやったり、
できることだけ仕事を切り出してやってもらったり
手伝えばできる事は一緒にやったり
暑すぎる日は1日休んでもらったり

そうやってちょっとずつ、ちょっとずつ。
叔父さんは自信を取り戻し、一人でできることを増やし、積極的になっていった。

そしてこの夏は、4世帯10人で温泉旅行に行ってきた。

毎年3世帯8人(旦那の母や私の親兄弟ひっくるめて)で年1-2回旅行しているけれど、今年は叔父夫婦も一緒。

叔父、叔母、私の母、旦那の母は高齢者なので目が悪かったり脚が悪かったりのシニアチーム。
温泉は危ないので一緒に入ったり、段差がある場所は誰かが手を引いたり、私と私の兄、弟、旦那がサポートした。

子供たちも小さい頃は好き勝手に違う方向に行ってしまって、大人に順番に面倒見てもらわないとお風呂にも入れなかったけれど、今は子供たちも戦力となってみんなの荷物を持ってくれる。

人数が多いと宴会場みたいな部屋を貸し切りでご飯を食べたりできるし、団体割になる観光スポットもあるし、とってもよかった。
旅行から帰ってきても、叔母からずっとずっと感謝されている。
叔母は度々私たちと一緒に旅行をしているけれど、叔父と一緒に旅行に行ったのは新婚の頃以来なので、よほど嬉しかったのだろう。
叔父は以前特殊な仕事をしていたので、まとまった休みがなくて、泊りで旅行に行くのは30年ぶりだった。
叔父は見たこともないような大きな笑顔だった。
私が「よっ!死の淵から蘇ったオトコ!」と囃すとおちゃらけてノンアルコールビールを飲んだ。
いつも食べないのに本当によく食べて、温泉につかって、夜はぐっすりと眠った。
叔父のそんな姿を見れて、みんなが幸せな気持ちになった。

その旅行の話をすると、病気の後、叔父に仕事をさせるのを反対していた人たちが目に涙をためて、「良かったね」というのだった。
反対した人たちも、叔父の体調や店の経営状況を心配してくれたのであって、できることなら自分自身も死ぬまで仕事をしたり誰かの役に立ちたい、できれば最後まで必要とされたい、と思っているはずなのだ。
亡き父がそうだったように。でも父が寝たきりになって何もできなくなっても、そこにいるだけで十分、私たちの役に立っていたし、死んでもやっぱり私はいつでも「お父さんだったらどうするか」と考えている。
旅行も、父が私の夫の家族も全員連れて行ってくれたから、私もそうしているだけなんだけどね。

また一生懸命働いて、みんなを旅行に連れていきたいと思う。
旦那の母や、私の母は「来年の夏またみんなで」と言っているけれど、
旦那と私はもっと早く実現させたいと思ってる。

追記
叔父は現在、要介護2になった。リハビリセンターにも通所を継続し、無理のない範囲で仕事も続けている。最近変わった事は病気になる前のように親父ギャグを言うようになった事(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?