世界を肯定するということに繋がるのか?
料理や洋裁、思いがけなく、「母が持っているものを習ってみよう」がわたしのところにやってきた感がある。母を受け入れてもいいという時がやってきたのだと思う。なんだか自分の土台が広く固くなった気もする。今までは、自分じゃない誰かの土台の上に乗らないと不安定な気がしてた。今の土台に乗った感じはどういうんだろう?神様が運んできてくれた土台とも言えるのかな。この世に生まれて初めて会った人類は母なんだから、この人を受け入れてもいいと思えるということは、世界を肯定するということに繋がるのか、どうなんだろうか。いやいや、そもそも土台が広く固くなったというのも幻想かもしれないのに。