タッチタイピングの為の日本語キー配列にについて考える
(注1)これは論文の様式を模して書かれた読み物です。
(注2)本論考は、2023年9月公開「五十音式日本語入力」の全面改訂版です。
§1.緒言
覚えやすさ極振りの日本語入力方式を考案してみる。
義務教育課程で、キーボードを使った文字入力を学ぶようになって15年ほどになるが、十分な成果は上がっていないようである。小学校では「10分間に200文字」、中学校では「10分間に300文字」程度の文章が正確に入力・編集できることが達成の目安とされ、「ローマ字入力による正しい指使いでの文字入力(タッチタイプ)を習得させる」としている。しかし、文部科学省の「情報活用能力の調査結果(2023)」によると、サンプル文をキーボードで入力する課題で、小学生の一分間あたりの文字入力数は中央値で14.7文字、中学生で21.3文字とあり、半数以上の生徒が基準を達成できていない。おそらくタッチタイピングの習得率も同じような傾向であることが推測できる。
そこで、2024年現在小中学校で教えられているのはローマ字入力であるので、それになにか問題が無いだろうか考えてみることにする。ローマ字入力が採用された理由の一つに「タッチタイピングの習得が容易」というのが挙げられていたが、はたして本当にその通りなのだろうか。
ローマ字入力で使われるキー配列は英文用タイプライターで一般的な、いわゆる “QWERTY配列” で、母音であるA, I, U, E, Oのうち、A以外はホームポジション上にない。英語の綴りは子音の連続がかなり含まれるのにくらべ、カナ1文字1文字に対してほとんどの場合に母音が使われるローマ字入力では、このキー配列はあまり使いやすいものではないものと考えられる。
また、入力ルールに使われている “ローマ字” は英語の文字綴りと発音の関係を流用して、日本語のカナ読みを転写するものである。アルファベットには日本語の「あいうえお」に相当する「A, I , U, E, O」の文字があり、子音の種類も余るぐらいなので問題は無いように思えるが、長音、捨て仮名などが表現しにくい。さらに、元々音声転写的なヘボン式と、カナ表記のアルファベットによる翻字的な訓令式の二系統があったのに加え、ローマ字入力では長音記号にハイフン “-“ 、捨て仮名はいくつかの子音の組み合わせ以外にも “X” や “L” などの子音を用いた特殊なルールが追加されるなど、入力ルールが複雑でわかり難いになっている。
キー配列と入力ルールの問題点から、英語の文字とキー配列を日本語の入力に用いる事は合理性にかけると言えるだろう。そこで本論考ではタッチタイピングの習得のしやすさを念頭に置き、ローマ字入力に変わる代替案を考案してみようと思う。
余談
2024年3月、文化庁はローマ字表記はヘボン式を舳とする考えを示し、約70年ぶりの改定を行う方針を発表した。訓令式の基になった日本式ローマ字表記を提唱した人物,物理学者で東京帝国大学教授の田中館愛橘(たなかだてあいきつ)が初代会長を務め、100年超に渡り日本語表記のローマ字化を目指して運動してきた日本ローマ字会の解散からわずか1年後の出来事であります。面白半分になにか関係があるのかと勘ぐってみたくなるのが人の性ではありますが、現実は特に関係はないのでしょう。
・京都新聞・日本ローマ字会解散の記事
・日本経済新聞・ローマ字表記見直しへ
ところで、1936年の内閣告示以前のローマ字界隈の様子はどうだったのかというと、ヘボン式支持が優勢だったという。これは、当然のようにも思える。例えば、もし英語圏の人が英語の発音をカナ文字で転写する「二ホン字」を考案して使いはじめ、「ち」と書いたものを「ティ」と発音せよ、と言われたら変だと思うだろう。
使用する漢字の数を減らそうとか、漢字を廃止して平仮名や片仮名だけにしようとか、ローマ字で表記しようとか、フランス語を公用語にしようとか、奥さんに読まれない為にローマ字で日記を書くとか (これはここでの話とは関係ないな)、日本語ワープロの発明と普及によって、活版印刷やタイプライターを使う上での”漢字”の不利な点を概ね克服してしまった現代人の目で見ると冗談のようにも思える漢字廃止論の末節に〝日本式/訓令式〟 vs 〝ヘボン式(ヘプバーン式)〟の争いがあったようなのだが、なぜか劣勢とされていた日本式が政府公認となって訓令式となったのかというあたりも政治 (どこぞの誰かの利害調整) 的に物事が決められているようで気に入らない。
なお、報道に70年前とあるのは1954年の第2表の追加でヘボン式風の表記が一部容認された事をさしていると思われる。
なお、現状、学校で教えるローマ字入力は訓令式に近いルールで行われているようだ。
ともあれ、最初にローマ字をヘボン式で覚えてしまった筆者は、日本語入力もヘボン式ルールでローマ字入力で行っていたのだが、タッチタイピングに慣れてくるとカタカナ書きの外来語を入力する際にもとの英語の綴りとの混乱がどうしようもなくなってしまったので、カナ入力に転向したのであった。同じ問題に悩まされる人が増えなければ良いのだが。
参考リンク
「情報活用能力調査の結果について」 (文部科学省, 2013年)
「情報活用能力調査の結果について」PDF (文部科学省, 2023年)
§2. [五十音] 順式日本語入力の概要
ここでは、タッチタイピングの覚えやすさを最優先にして、例外の少ないシンプルな行段2打鍵式の変換ルールと、文字と指の動きの関係をイメージしやすいキー配列をについて考えてみる。そこで、日本語の読み書きを習ったものなら馴染みのある五十音図を基に変換ルールとキー配列を構築する。
変換ルール
50音図を基にした、行段2打鍵式とする。
(将来的に,日本語入力システムが対応可能であれば同時打鍵も許容)長音 「ー」、撥音「ン」、促音「ッ」には個別のキーを割り当てる。
拗音「ャュョ」は母音[段]として扱い子音[行]に続いた場合 には「イ段+ャュョ」と変換する。
ただし「ヤ行」に続いた場合は単独の「ャュョ」に変換する。捨て仮名「ァゥォ」は「ャュョ」と同じキーを用い、母音[段]単独で打鍵する事で入力する。また、「ィェ」には個別のキーを割り当てる。
キー配列
ホームポジションと上下1列の3列をカナ文字の入力に用いる。
(英文字の配列と同様,最上列の数字キーは文字入力に使用しない)キーボードの左手の守備範囲に子音[行]、右手の守備範囲に母音[段]を配置し、できるだけ左右交互の打鍵になるようにする。
五十音図の配列を可能な限り踏襲し、文字配置を覚えやすく、かつ指の動きをイメージしやすい配列にする。
名称
五十音図の並び〝順〟を基にしたことより、この日本語入力方式の名称は「順式」と呼ぶ事にする。
§3. 変換ルール
子母音を表すのにアルファベットを当てる事は行わず、すべて[カ(行)] [ア(段)]のようにカナ文字で子母音を表す。本稿では以降、大括弧で囲んだ片カナは子音ないし母音を示すものする。3打鍵のルールは定めていない。
太字で表示したルールの組み合わせで、通常のかな表記はすべて記述可能である。
表に記述のないルールとして、子音[行]のあとに促音、撥音、長音が続いた場合は、ア段で確定した後ろに「っ、ん、—」を加えるものとする。
(「カン」や「サー」といった入力の際に、連続して同じ指で異なるキーの打鍵を避ける為の仕様)
補足・母音の拡張について
拗音の母音化は、"きゅうり・きゅうり改" などの入力方式で実装されていたアイデアである。母音拡張のアイデアは他に[アイ]、[オウ]などの連続した母音を一打で入力する連母音拡張、[アン]、[イン]など、母音とそれに続く〝ン〟を一打で入力できるようにした撥音拡張などの方法がある。これまでに考案、公表されてきた日本語入力方法の中には、打鍵数の削減を重視して、これらを駆使するような実装を行った例もあるので、興味を持った方は調べてみてください。リンク切れも多いのですが、「色々なカナ入力配列」が配列一覧として参考になると思います。
§4. キー配列
キートップに表示が無いキーボードでタッチタイピングを行う事を前提とし、五十音図のア行とア段の文字並び順を流用することで、配列と運指の覚えやすさ重視したキー配列とした。Fig.2にキー配列の構築手順を示す。
§5. タッチタイピングの練習方法
とりあえず、頭の中のイメージだけで試してみてください。
担当する指ごとに色分けした、Fig.3キー配列図を見ながらでも構いません。
まず右手人差指を “J” 、左手人差指を “F” にのせ、中指、薬指、小指をホームポジション(Fig.3の濃いグレー縁のキー)に置き、キー配列の構築手順を思い出しながら、「あいうえお」、「かきくけこ〜なにぬねの」とタイプする指の動きをイメージしてみてください。「え」と「お」では右手小指の掛け替えがありますので、指を隣のキーに乗せ替えてからキーを押し込むところを思い浮かべます。これがイメージできれば、順配列では五十音図の前半を実際にタッチタイピングで入力するのは難しくありません。ここまで、左手はホームポジションのキーにのせたままです。
次にキー配列の構築で説明した子音の上下の関連性を思い出して、ハ行以降の文字の入力、ホームポジションの上の列を使った指の動きをイメージしてみてください。左手、清音の下は濁音。右手、ホームポジションの上は拗音「ャュョ」、……。こんな感じで、一通り指の動かし方を想像してみます。
タッチタイピングとはイメージの世界なので (某マンガ&アニメの魔法の説明のようです) 、キーボード上の指の動きを思い浮かべて「タッチタイピングができる」というイメージを持つ事ができたら、できるようになります。そこから練習を重ねて、思い浮かべた文字から意識しなくても指が動くようになってくると入力速度も自然と上がってきます。
タイピングを行う時の姿勢
さて、実際にキーボードを使ってタッチタイピングを行う前に、正しい姿勢についてふれておくことにします。
感覚を頼りに指を動かして正確にキーをたたくには、手とキーボードの位置関係が定まっていないと隣のキーをたたいてしまうなどして、なかなかうまくいきません。その為には椅子や机の高さを調整して、正しい姿勢をとること重要です。「パソコンを使う時の姿勢」等を参考にタイピングしやすい姿勢を見つけてください。
参考までに筆者なりの留意点ですが、キーボードは真直ぐ向き合うように、中心は少し左にずらして置き、椅子と机の高さは手首が肘よりも高くならないように合わせています。距離は一度両手を上げて、自然に腕を下ろした時に指がホームポジションにのる位置を目安にしています。
§6. 設定方法
順配列の設定は、日本語IMEのローマ字変換テーブルのカスタマイズすることで設定します。
以下の動作環境で設定可能なことを確認した。
MS-IME (WIndows10で確認)
プロパティの変換ルール設定では、記号を入力に使うことができないため設定不可。ただし、regファイルを用意して変換テーブルをレジストリに書き込む方法では設定可能。
未確認ですが、Windows11でも使えるようです。
Macの日本語入力 (MacOS13 Venturaで確認)
ローマ字変換テーブルのカスタマイズができない為、設定不可。
Mac用IME かわせみ (かわせみ3、4で確認)
ローマ字ルールの修正で設定可能。
Google日本語入力
ローマ字テーブルの修正で設定可能。
子音を打鍵した際にGoogle日本語入力ではカーソル位置にア段のカナ文字が表示されるので、キーに対応したアルファベットが表示される他のIMEよりも使い勝手は良いと思われます。
設定ファイルダウンロード
各IME向けの設定ファイルをこちらからダウンロードできます。
尚、ダウンロードデータの使用に起因するトラブルについてデータの提供者は一切の責任を持ちません。自己責任でご使用ください。
また、確認しきれていない設定ミスなどがある可能性がありますので、その点もご承知願います。
タッチタイピングを体験してみよう
試し打ちの為に、簡単にタイピングできる例文を用意しました。
蒼い草木 赤き土地
紅炎の光輝と紫水の降雨
遠くに近くに 虚空の彼方
後に先に 時の行く末
生命の円環
何だか中二病風な詩(?)ですが……、タネをあかすと五十音図の前半、ア行からナ行までと "ん" だけで書かれた文になっています。五十音式の設定になっていると左手はホームポジションに指を置いたまま,右手も "ん" と "お" 以外は指の移動がありません。順式に設定されていると、手元を見なくても容易にタイピングができると思います。
タイピングの練習方法について、少し詳しく書いてみました。
§7.結言と今後の課題
以上、日本語のタッチタイピングに適した変換ルールとキー配列について考察し、覚えやすさを重視した順式日本語入力を考案した。
筆者自身が試用した感想として、覚えやすい配列という点は達成できたのではないかと思う。
今後の課題としては、筆者以外の被験者による評価が必要と考えている。もしこの記事を読んで実際に順式をお試しになられた方がおられましたら、是非とも感想をお聞かせ願いたい。
利用、改変、再配布について
本論考の筆者が著作に関する権利を有する部分について、原作者を表示し,かつ非営利目的である事を主な条件に、改変、再配布すること許可します。
付録.日本語入力に関するあれやこれ
キーボード
もし、日本語入力方式を現在主流のローマ字入力から改善してもタッチタイピング習得率に伸びがみられなかったとしたら、キーボードのキーの物理的な配置を見直すべきかもしれない。機械式タイプライタのキーボードの時代から100年以上,当時の設計上の制約に起因する思われる左右非対称の列ズレがいまだに残っている。電気スイッチ式のキーをもつパソコン用キーボードには全く必要ないものです。
直感的に考えて,人間が両手で操作するキーボードは概ね左右対称になるはずである。例えば80年代から90年代にかけてNECのM式配列やトロンキーボードなどでは左右非対称を解消し,かつハの字型に左右に分かれたキー配置になっている。ただ、ノート型PCが広く使われている現在ではこのような大型キーボードは受け入れられにくいだろう。そのあたりも踏まえて、キーボードの改善についても少し考えてみた。
最近はこのような一品ものでも何とか手の届く費用で製作できるようなので、デスクトップ用に1個製作して使ってみたい気もします。
参考リンク
謝辞
本論文(風の読み物)の執筆に当たり、これまでに考案されてきた様々な入力方式や、キー配列やタイピングに関する論文、調査資料等を参考にさせていただきました。制作者及び著者の方々に敬意と感謝を意を送ります。
参考文献へのリンク
本文中に引用,参照のある無しに関わらず,執筆中に参照したページへのリンク集です。
-WEB-
文部科学省
1. 情報活用能力調査の結果について
2. 情報活用能力調査結果第4章 (PDF:3184KB)4-5-2 文字入力数
株式会社マイナビ
3. 新社会人の39.3%が「タッチタイピング」できると回答……
4. 意外と多い? 「ブラインドタッチ」ができない社会人は約6割!
Impress「こどもとIT」
5. AI教材「らっこたん」を使ったタイピングスキル調査結果が
公開 1分あたり、小学6年生が51文字、中学生は40文字以上
※「らっこたん」は検索結果によく出てきたので、調べてみた。
6. らっこたん_全国統一タイピングスキル調査 - 株式会社教育ネット
※教材販売の会社が行っている調査のようです。
7. らっこたんタイピングシール誕生の背景 - 株式会社教育ネット
※キートップの表示を隠す目隠しシールなら良かったのですが……
デイリーポータルZ
8. 世界のキーボード入力事情調査~韓国語編~
9. 世界のキーボード入力事情調査~中国語・繁体字編~
その他
10. いろいろなカナ入力配列
11. キー配列 - Wikipedia
12. QWERTY配列 - Wikipedia
13. 新JIS配列 - Wikipedia
14. 打鍵効率の目安 - エスリル株式会社
15. キーボード日本 -ImeOn/ImeOffの実装
16. Remapping Keys in macOS10.12 Sierra
-論文-
カナ入力再考 [PDF]
キーボード入力速度の長期調査と教育環境との関係 [PDF]
タッチタイピング習熟度向上のための指導法 [PDF]
高校生におけるタイピングスキル習得状況の実態調査 [PDF]
手書き情報入力から見たタブレットPCの評価 [PDF]
初心者のタイピング動作特性の解析 [PDF]
小学校ローマ字学習の現状と課題 [PDF]
大学生のタイピングに対する苦手意識の分析 [PDF]
短期大学生におけるタイピング練習に関する研究 [PDF]
日本語入力から見る"PCが使えない大学生問題" [PDF]
識字能力・識字率の歴史的推移 [PDF]
あとがき
個人的に、ローマ字入力は使いにくいというのはここで述べた通りだが、カナ入力が良いとも思っていない。筆者は現在、カナ入力を主に使用しているが、「ローマ字入力よりはマシ」だからだ。なので、もし良い機会があれば順式か新JISかな入力に切り替えたいと思っている。順式はMac、Windowsとも、比較的簡単に設定可能なのだが、新JISかな入力はセンターシフトが無いととても使いにくいので考えものだ。ちなみに新JISかな配列も、とりあえず覚えるだけなら半日あれば何とかなる。実際に自分で実験した見たので十分可能だ。
いずれにしても現在のカナ入力の練度を考えると、入力方法の切替えを実行するのは躊躇する。
順式とカナ入力の両刀使いが出きればよいのだが、ローマ字入力と英文タイプの両立ができなかった自分が、うまく切り替えられるだろうか。これこれ順式で本論考の原稿2、3つ分はタイプしているが、今のところ混乱は起きていない。でも、なにか起きるのは無意識にタイプできるようになったからだよな、と思うとなかなか先に進めないでいる。
さて、今回はタイトルイラストも書き下ろした。当然のことながら著作権は筆者にあるので、本文と同様にCC-BY-NCでの使用許諾の範囲に含まれることをここに記しておく。使い道があるかどうかは、分からんが。
あまりパソコンには見えないかもしれないが、画面奥の四角い箱はAppleのPowerMacG4cubeと言うマシンで、個人的にMacPro(2013)の筐体の設計思想的なご先祖様なのではないかと思っている。
2024年4月22日
秋村じゅん