命と向き合う理由は?私の悲しき運命から学んだ事
人間生きていると、その時間が長ければ長い程、辛い出来事が多くあるだろう。
私の人生は波瀾万丈である。
振り返ると、湾岸戦争が起こった日に、父の趣味の株は大暴落し、一日で1億の借金を背負い、その借金は利息が重なり、総額12億となった。
笑ってしまう程の多額の借金は、私達母娘の生活の最低限を全て奪った。
真面目な母であるのに、母はそのうちの半分の6億円の保証人に、知らぬ間にさせられていた。
それまでにも増して働く母。
しかし、全ては借金の支払いに消える。
家には借金とりが押しかける時代。
子供にも容赦はない。
「クソブス」と罵られた。
ここに記すには、憚られる内容も多く、今思うと、子供を持つ親の年代であろう…と想像できる大人達が、楽しむ様に、脅しまくってきた。
今ではなんともないが、思春期であったし、知らない大人からの言葉の暴力が怖かった。
食べる事にも事欠き、服は買えずいつも学校の制服で過ごした。
中学生だった私は、お昼の弁当もなく、パンを買うお金もなく、昼休憩にはトイレに閉じこもっていた。
いつもお腹が空いていた。
恥ずかしかった。
百円玉が光り輝いて見えた。
付き合いが出来ない私には、次第に友達から遊びに誘われる事がなくなり、友達もいなくなった。
学校に行くのも帰るのも、過ごすのも、一人だった。
楽しみは何もなく、すごく、すごく寂しかった。
お腹が空いても食べる物がなかった。
父は、何もしてくれなかった。
米の一粒も与えてくれなかった。
この世の地獄を見た。
誰一人、手を差し伸べてくれる大人はいなかった。
みんな私達とは関わりたくなかった。
それが、この世の現実である。
だから、私達母娘の今日は、死に物狂いだった。
這い上がるまでに、20年の歳月が流れた。
それ程に、大き過ぎる失敗であった。
やったのは父。
でも、責任は家族全体の連帯責任。
お金がないのは、寂しいものです。
苦しいものです。
それが、マイナスならば、お金は悪魔へと成長します。
ゴールドトレジャー、藍姫、ゴールドミルク、保護猫軍団。
今は亡き、オーシャン。
目の前の命からは、絶対に目を逸らさないのは、自分の経験からでしかない。
あの時、優しくしてくれて、助けてくれる人がいたならば、どんなに…どんなに嬉しかったか。
それに私はなろう。
馬や猫に手を差し伸べる存在になりたい。
これは綺麗事ではない。
私は、この子達の幸せな姿を見ているだけで…それだけで良い。
人も動物も苦しみは同じ。
自分の手で救えるものならば、懸命にやる。
それで、ダメな事なんてないのではないかと思っている。
全てを投げ出して臨めば、出来ない事なんてないと思えた。
世の中お金が全て。
それは、真実なのか嘘なのか…。
しかし、お金がなければ日々の営みさえも出来ないのが現実だ。
生きたい。
馬や猫と共に生きたい。
生かしてやりたい。幸せにしてやりたい。
幸せでなければ、人だって馬だって猫だって、この世は苦行でしかない。
あの頃、生きるのが辛かった。生きている意味を見出せなかった。
夜、目覚めると、何かがどこまでも追いかけてきた。
お母ちゃんは、働きます。お前達は、お母ちゃんが守るから。
ここからは、お母ちゃんの頑張りだ。
一日、一日に励む事が、生涯へと繋がると思っている。
この子達の日々を守る事、それがこの子達の生涯に繋がると思っている。
しかし、辛い記憶は、早くに手放す様に心掛けている。
いつまでも、その時から動けなくなってしまう。
だから、忘れた。思い出しても辛くない。
良い事も悪い事も、その感情は早くに手放す。
人を憎めば、その人が忘れられなくなる。
いつまでも苦しい。
だから、辛い事は、嫌な人間は記憶に留めておかない。
そんな事を、人生47年。学んだ様な気がする。
だから、私の人生は幸せです。
人にどう映ろうが、人生とは愛おしいと思える今日である。
馬達が、猫達がそう教えてくれた。