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「考えすぎる」を考える
この前、ハローワークの「心の相談」サービスを利用してみた。
特に精神面で大きい病気をしたわけではなく、単純に就職活動に対する不安があった。時間を取ってもらって少し申し訳なかったけど、そのサービス自体は病気の有無は関係なしでウェルカムに利用ができ、担当していただいた心理士さんも「お気になさらず〜」とニコニコしていた。
柔らかさと頼もしさを兼ね備えているような心理士さんで、つい甘えそうになってしまう。杞憂かもしれないけど、心理士さんというのは仕事上のストレスはどう処理しているのか気になってしまう。
短所は必ず長所になりうるということで、短所を長所に変換する「リフレーミング」というのを行なった。
筆者は「なんでもないことでも深読みしがち」が短所の一つだ。
雑談レベルの何気ない一言でも、自分の中で引っかかると「なぜ引っかかったのだろう?」「今のは建前で、本音はこう言いたいのでは?」「もしかして、からかわれてる?」などなど、エンドレス脳内会議する。
そのため、他意なしに褒めてもらったとしても素直に受け取れなかったり、自分の中で勝手にマイナス方向に決めつけてしまったりする。
訓練所の先生からも「考えすぎんな!」と言われた。(それが難しいんすよ)
それは「思慮深い」に変換された。
改めてこう書くとまるで良い人みたいでなんとなく嫌だけども。類語を検索してもちょうどいいのがなかったから妥協しよう。
確かに、基本的には節操もなく自分の考えを押し付けたり、一面的な意見だけ見て物事を決めつけたりはしない。
邪推する&突き詰めるのは、自分を守り、安心させるため。
話し下手なのだが、それは言葉を選び、相手によって最適だと思われる伝え方を考えているから。
とりあえず、考えないと自分ではない。 とは言えるかもしれない。
ただ、どうでもいいところと大事なところ、ON/OFFを区別して「考える」ことはこれからの課題になってくる。
変わるのは難しい。
嫌よ嫌よも好きのうちで、自分の味方は自分自身であることはわかっているから、相談しながら頑張っていこう。
ここまでありがとうございました。