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聖徳太子の鷹伝説
見出し写真は四天王寺金堂二階東に取り付けられた、鷹の止まり木。
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「広々と開放されている四天王寺で、私は人間の精神の開放感をつよく感じる。その一方私には四天王寺の境内を吹き抜ける空無の風のようなものが快よい。慈悲と虚無は紙一重であるとさえ思う」
谷川民俗学の集大成とされる、名著「四天王寺の鷹」のあとがきより。
四天王寺の鷹伝説は、この作品が世に出るまで、語られることはなかった。鷹伝説の重要性は、幾度もの再建をへて、金堂の二階東に忘れず設営されてきた目立たない棒、鷹の止まり木が実証する。
しかし、谷川先生は、亀井水にはきがつかないで、四天王寺を去られた。
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聖徳太子の魂が白い鷹となり飛来する。
私はこの伝説のなかに、亀井水の重要な役割があると思う。
亀井水は、東の空を映す水鏡である。石垣の上から亀井水を見下ろす角度が、25度から30度。真東の太陽がこの角度で照射するとき、亀井水の輝きはピークに達する。
時期は年二回。春彼岸の一月後の穀雨と、秋彼岸の一月前の処暑の日となる。
穀物の成育を祈る日と、収穫の準備の日となる。
収穫の稔りの時期は、それまで害虫を駆除してくれた小鳥たちが逆に害鳥となる。古来の伝説として、処暑の日、鷹が獲物の小鳥を神に捧げるという。
亀井水の処暑の祀りから、鷹伝説は語りはじめられたのではないか。
鷹の止まり木が、必ず東に向けて設営されるのは、亀井水の太陽祭祀との関係を、強く推測させる。