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Hardy Ward (USA)

1969年バレーフォージ世界選手権、チャンピオンのハーディ・ワードです。
1970年のアルバムの最初に貼ってあります。

偉大なる世界チャンピオンのひとりです。1949年テキサスに生まれ、5歳の時にアーチェリーを始め、1966年16歳で全米タイトルを獲得。1969年、世界選手権で初の1200点台を記録し、ノークリッカー最後の世界チャンピオン、レイ・ロジャースを越え、クリッカーを付けて全米タイトルを獲得した最初のアーチャーでした。
1970年代にコーチとして、台湾に移住したのは聞いていましたが、2018年5月に香港で亡くなりました。遺体はアーリントン墓地に埋葬されています。

我々が彼を知ったのは、バレーフォージでのジョン・ウイリアムスとの死闘であり、彼は初めて日本に招待された「世界チャンピオン」でした。それ以前には、オリンピックに5回連続出場した、イタリアのジャンカルロ・フェラーリがいましたが、彼の最高は銅メダルです。
どちらもヤマハの招待で来日したのですが、ハーディー・ワードは世界選手権の翌年、1970年に来日し、各地でデモンストレーションを行い、試合にも参加しています。

これは5月4日、昔の同志社大学のレンジに練習に来た時です。この翌日に大阪府立大学で、「第1回 全日本選抜アーチェリー競技大会西日本大会」が「ハーディー・ワードを囲む大会」として行われています。
今はこのレンジは同志社高校のレンジになっていますが、当時は的を挟んで向こう側が高校のレンジでした。そこでハーディー・ワードが来ることを聞きつけた高校2年生は、弓を持って勝負に馳せ参じたのですが、大学生に阻止されてしまいました。しかしこれが初めての「外人」との出会いでした。
ちなみに翌日の試合は70mの途中かで、指がいたいと棄権するのです。それでも90mは270点くらいだったと思います。高校2年生は939点の32位でした。

この写真は貰ったものですが、熊本でのデモシュートの写真だと思います。

ここから、我々が目指した「正十字」の世界へと入っていくのです。そして「美しさ」と「力強さ」、まだ我々が持ち合わせていないものばかりでした。

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