
1972年 ミュンへンオリンピック 第一次選考会
オリンピックにおける「アーチェリー競技」は、1900年パリオリンピックで初めて実施された後、1920年のアントワープオリンピックを最後に、1924年パリオリンピックから1968年メキシコオリンピックまで実施されませんでした。それが52年ぶりに復活したのが1972年ミュンヘンオリンピックでした。
全日本アーチェリー連盟として、1969年バレ―フォージ、1971年ヨークの2度の世界選手権を経ての初めてのオリンピックでした。
当時、世界選手権は各国男女合計8名でしたが、オリンピックは半分の4名となります。そして日本は最初のオリンピックに男子3名、女子1名の派遣をすることとなります。

最終選考会の結果、男子:中本新二・梶川 博・日比野正嗣、女子:秋山芳子 が代表となりました。







