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1970年インターハイ
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1970年8月9日 第3回 全国高等学校総合体育大会アーチェリー競技大会
4位 579点(253+326高校新)
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公開練習の日に、スタンドで絞りのTシャツを着て、レモン齧ってペッペペッペと散らかして、注意を受けたのが、翌日「優勝」した興誠高校(浜松)の伊藤寿彦 選手でした。伊藤選手が凄かったのは、この時初めて高校記録が「600点」を破ったのです。高校生にすれば、憧れで驚異的な壁でした。社会人でいえば「1200点」の壁と同じです。
本人は覚えていないようですが、表彰式の後に春ハーディー・ワードにハンカチに書いてもらったサインをプレゼントに、みんなで祝福に行きました。それほど悔しくて、嬉しかったのだと思います。
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優勝 伊藤さん、亀井4位。そして6位にいるのは、慶應の佐藤さんではありませんか。
1971年8月1日 第4回 全国高等学校総合体育大会アーチェリー競技大会
優勝 600点(264+336高校新)
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表彰している、田中さんはもういません。飯塚さんだけでしょうか。
もし真実を知る方がいれば、教えてください。
THE TRUTH IS OUT THERE
それは1969年草薙運動場で行われた、第2回インターハイでの出来事でした。同志社高校は強かった。そしてこの大会でも3年男子の〇〇先輩が、個人で優勝の点数を記録して、的前でスコアカード提出のために点数を付けていたのです。ところがそこに、どこかの教員が来て、因縁をつけてきました。同志社高校同士で相互採点をしている、というのです。そんなことは生徒には関係ない話です。選手は、大会要項に沿って競技をしていただけです。立ち順を決めたのは教員です。そして的前ですったもんだがあったようですが、〇〇先輩は本当にうまかったのです。でも切れてしまって、「いらんわぇそんな優勝」といって、その教員を殴ったのです。その後どう収めたかは知りませんが、同志社高校は女子は個人、団体優勝をしましたが、男子は個人、団体優勝を蹴って京都に帰ってきました。熱い青春の夏の一日です。