ヤマハ「YS-V」の思い出
「YS-V」(ワイエス-ファイブ)、我々はワイエス-ゴと呼んでいましたが、この「ヤマハ」のサイトが発表され、販売が開始されたのは1978年の秋でした。それまでこのような形状、機構のサイトは、存在しませんでした。エクステンションバーにカーボンを使ったのも、これが最初です。
このサイトのプロトタイプがテストされるのは、それより1年前の1977年でした。
川上杯の最初の会場は西山工場のグランドですが、ヤマハ「西山工場」はアーチェリーを含む、スポーツ部門の研究課と生産課があったところです。
ある日、研究科の測定室で伊豆田さんが「カメ、これどう思う?」と言ってサイトを見せてくれました。伊豆田忠男さんはヤマハの頭脳であると同時に、世界のアーチェリーの頭脳です。
その試作のサイトは、伊豆田さんのアイデアを具現化したものでしたが、まだ射てるものではありませんでした。伊豆田さんは最初、前後の動きでサイト調整をと思っていたようで、名前を「トロンボーンサイト」にと、冗談を言い合っていたのを覚えています。
そこからいろいろアイデアを出し合って、実射ができるプロトタイプを作ったのですが、伊豆田さんの最初のヒラメキは、サイト重量をグリップに近づけることで、肩への負荷を軽減すると同時に、弓の不良振動とモーメントを解消しようというところからこのサイトを思いついたようでした。
その後、改良したプロトタイプを何度かテストして、1978年の発売にこぎつけるのです。が、実はこの頃、個人的にはこのサイトを試合で使っていませんでした。1979年には海外選対でリック・マッキニーやルアン・ライアンといった世界チャンピオンも使用しだし、本来ならヤマハの競技用最上級モデルですから、使うことが当然だったのです。
しかし、どうしても試合で使うには精度面で納得がいきませんでした。それで見つけたのが「復元性」という性能でした。手元の固定ネジを締めた時に、先端のサイトピンに微妙なズレを感じたのです。普通のサイトなら、取り付けた時の1回だけですが、YS-Vの構造では、サイトの微調整のたびごとに起こる問題です。とはいっても、30cm先の空間でサイトピンが1mmズレるかのズレないかです。普通のアーチャーには分からない、感じない誤差です。
そこで、市販品とは異なる留め方をする仕様を作ってもらい、テストや試合で使っていました。そのノウハウは以後のマイナーチェンジに反映し、1985年頃まで販売されました。
ちなみに、どのメーカー、どの製品にしても、チャンピオンが市販品をそのまま使っているとは限りません。ご留意ください。