「ステミラック注」
2021年8月4日受傷当日、手術を前に医師の「歩けなくなります」の言葉の意味を、朦朧とした頭ははっきり理解しました。
翌日、病室に移されて家族と会い、そこで初めて聞いた言葉がありました。娘婿が調べてくれた「ステミラック注」です。ニプロと札幌医科大が共同開発した、脊髄損傷の「再生医療」薬です。脊損も再生医療も、何の知識もない中で、この言葉だけが、ここから始まる急性期における、すべての心の支えとなりました。
2週間の急性期がタイムリミットでした。どうしたらステミラック注を受けられるのかもわかりません。ベッドの上で、携帯電話しか持たない中で、頼れるのはアーチェリーの友人しかいません。必死でした。多くの方にお世話になったことを、言い表せないくらい感謝しています。この間、慶應大学や近畿大学の iPS細胞による再生医療の治験や、多くの希望にも、多くのお口添えをいただきました。この間を乗り越えられたのは、希望があったからです。
安倍さんは1954年(昭和29年)生まれの同い年で、成蹊大学アーチェリークラブOBです。合歓の郷で春合宿をしている時に、伊勢神宮参拝の後、近くまでゴルフに来られていました。断ったのですが、どうしても表敬訪問したいと奥様同伴で来られました。下野していたからでしょう。とはいえ、安倍さんは全ア連会長でした。
この時のこともあり、安倍事務所を通して札幌医科大学にも多大なお力添えをいただきました。しかしいろいろな事情があって、安倍さんの力をもってしても、2週間以内での適性検査に進むことはできませんでした。
8月27日、リハビリ病院に転院。それでも一縷の望みを持って回復期を過ごしました。
11月9-10日、ステミラック注の最初のハードル。所沢の国立リハビリテーションセンターでの2日間の検査が決まりました。これは障害の状態を検査するもので、このハードルを越える可能性は数%。これを越えても関東労災病院での癌や血液の身体検査があります。
検査は電極を付けて、電気刺激を加える一般的な検査から始まり、磁気刺激を直接脳や脊椎の損傷個所に加えるもの。そして通常は行わない日本に一台しかない歩行ロボットを使って、刺激を加えて検査するというものまで行いました。
今回の治験は3年前から始まり、すでに8人がハードルを越えエントリーしているようで、全体で10名ほどの治験です。すでに脱落者、候補にも上がらなかった方は多数です。ここまで辿り着いたことに感謝です。
札幌医科大から連絡がありました。再生医療のチャンスはここまででした。予想はしていたので、ショックは少しマシです。4ヶ月間に感謝です。希望を持ってこの後の病院生活にもリハビリにも、前向きに全力で進むことができました。
残り2ヶ月弱、まだ病院でしなければならないこともあります。家も直さなければなりません。心の整理にも時間がまだまだ掛かりそうです。帰ることに不安や心配がないわけではありませんが、家族が待ってくれています。そしてたくさんの皆さんの励ましがあります。
受傷から6ヶ月になる1月22日には家に帰ります。
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