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夏の終わりのぼくとかこ。

19:30の河川敷。
ぼくらは行儀よく体育座りをして、その光が打ち上がるのを待った。

ドンッ。パッ。という規則正しく、乱れるリズムが大きく響く。
眩しく花を開いた光たちを見て、河川敷にいる人たちは一斉に声をあげた。

「きれー」という女の子の声が聞こえ、静寂が包む川沿いを眺めながら、ぼくは缶ビールを口にする。
まだほんのり冷えている缶ビールは水滴で覆われ、右手の指先に水のバトンを渡す。


「のりくんはさ、その彼女とまたやり直したいんでしょ?」

静寂を貫き、隣の街まで響いてしまいそうな透き通った声で、かこが聞いてくる。

かこ。みんなは、かよとか、かよちゃんとか呼ぶかなと彼女が笑ったあと、かこって呼ぶね。ぼくはそう答えていた。みんなと同じ呼び方なんて特別じゃない。

あれからもう6年が経つ。


山野部香代子はぼくの職場の同期だった。
同期といってもぼくは人事部、彼女は管財部で、フロアも5階と地下一階と離れていたから、ありそうな接点は意外にもないに等しかった。

かこは就職して最初の研修で、グループが一緒だった。
山野部という苗字がやたら頭に残って、グループにいたメンバーのうちかこだけをフルネームで覚えてしまった。
いや、苗字なんか後付けで、ぼくは自己紹介の一瞬で彼女に惹かれていた。

その大きなメガネ、そのキレイな肌、その意思の強そうな語気。

一言では表せないこの感情は、きっと広辞苑とか大辞林なんかにも載っていない。


LINEで「花火行かない?」と誘いがきたときは嬉しかった。
就職する前から付き合っていた彼女にフラれたぼくは、脊髄から「うん!」と返信をしていた。
この感情はなんなんだ。


好きだったらもっと早く気持ちを伝えていたろうし、何かしら行動していたはずだ。
でもぼくはしなかった。

彼女もどうして今になってぼくを誘ったのか。
これまで職場ですれ違うたびに交わした「元気?」の意味を考えると、なにもそれに意味とか理由なんて詰まっていないことに気づいた。
それでも今ここに二人でいる事実は、意味のなかったやりとりの延長にあると思える。



「やり直したいよ。今でも好きだからね。気持ちは最後まで伝えきりたいじゃん。」
「そうか。なんかカッコいいね。でも気持ちが行き過ぎるのは、女子には受け止めきれないから、ほどよくしなね。」

アルコール度数の低いカクテルを飲みながら、かこはこっちを見て笑っていた。
コンビニで買った、グレープフルーツ味のカクテル。
お酒強そうなのにね。って言いそうになって、なんだか月並みなそのセリフはこの河川敷に似合わないなと思って胃に押し返した。


また規則正しく、乱れ打ち上がる光。
ドンッ。パッ。


「わたしさ、自分のことを正直に話してくれる人ってすごく好き。」
「俺も誰にでもこんなこと話すわけじゃないよ。」
「ますますいい男に見えるよ。のりくん。かっこいいから自信持ちなよ。」

そんなの、かこが特別だからに決まってるじゃんか。


「次が最後の演目です。大スターマイン!」

はきはきとした女性の声だった。
野球のウグイス嬢みたいに。
今でもはっきり思い出せる。


かこの手は自然とぼくの右手を握っていた。
さっきまで濡れていたぼくの指先は、自然とかこの指先と絡まる。
乾いていてよかった。
ドン!とこれまでで一番大きく広がる光を見ながら、ぼくは安心していた。
かこの手はとても柔らかかった。
少し冷えた指先は、さっきまで握っていたカクテルの缶のせいだ。
ほのかな湿り気を感じながら、ぼくらの指先はお互いの手の甲に触れる。


「本日のプログラムは以上で終了です。また来年もこの会場でお会いしましょう。」


立ち上がる人々。
広場を駆け回る子どもたち。
さっきまで同じ光を眺めていたはずなのに、そんなことは忘れてしまったかのように、河川敷には不統一な動きが生まれる。

「わたしさ、今月で会社辞めるんだ。地元にお母さんが一人でいてさ、地元に帰るんだ。」

就職して2年目くらいだった。
かこのお父さんは亡くなっていた。
ふと眠っていた記憶が顔を覗かせる。
隣に座っていた家族連れがシートを畳み終えて、帰ろう。と声を揃えた。
寝てしまった子どもをおんぶしているお父さんを見ると、ぼくらと同じくらいの年代だった。
隣で笑う奥さんも、同じくらいだった。


「それでさ、今彼氏と一緒に住んでるんだけど、それも解消して、月末に実家帰るんだ。30日。」


出店でなんか食べようよ。と気軽に言うように、かこはこちらを見ながら少し明るめにそう言った。
いつから付き合ってたの?とか、彼氏は今家にいるの?とか、次はどんな職場なの?とか、いっぱい頭の中でぼくはかこに問いかける。

でも、ぼくの口からは何も出てこなかった。


**********

花火の帰り道、ぼくの右手はかこの左手を握っていた。
長い指。柔らかな感触。ずっと前から握っていたみたいに、懐かしさに似た感触が指先から全身に広がっていく。

今年の夏はそこまで気温が上がらなかった。
夜はTシャツだと肌寒さを感じるほどで、とても心地のいい帰り道だ。


もうぼくら二人のために用意された電車はなかった。
ぼくは河川敷から歩き始めるときに、薄々電車はなくなると予想していた。
そのとおりになった。

こういうとき、強引にホテルに誘える男らしい人がうらやましかった。
男らしさを履き違えているほど、相手の気持ちを考えているとか、いないとか、
かっこいいとか、気持ち悪いとか、
そんな評価なんか気にせず誘える人がうらやましかった。
ぼくにもそんな強さがあればいいのに。


「どうしよっか」という宙に浮いて行き場を失った言葉。
そんな言葉の導いた先はカラオケだった。
電車もなくなった時間に入るカラオケは、明るさがまぶしくて、目に紫が入ってくる。


受付で「ワンドリンク制です。」と言われ、ウーロン茶とアイスティーを頼む。
部屋に入るとすぐに飲み物が部屋に届けられた。
荷物を柔らかい革張りのソファに置く。
かこはふとタバコを取り出した。ピンク色のピアニッシモ。
体に全然よくない物体の名前にしては、随分と不釣り合いだなと改めて思う。

「たばこ平気?」
「うん。吸うんだね。」
「お酒飲んだときとかだけだよ。職場の人には隠しているから、一応内緒ね。」

わかった。そう言って、あとほんのわずかな期間に生まれた二人だけの秘密を、ぼくは歓迎した。
二つのグラスが運ばれてきてからは、二人だけの空間だった。
二人とも積極的に歌うこともなく、ただ聴きたい曲を流しつつ、マイクも通さずに歌った。
その曲が流行っていたときに自分のしていたこと、そのときに起きたできごと、そのとき付き合っていた恋人のこと。
かこの初めての彼氏は高2のころだった。
ごく自然と自分たちのことをマイクを通さずに話した。
この小さな部屋がまるで世界のすべてかのように。

この部屋で流れている曲も、今を想い出すきっかけになるときがくるのかもしれない。


「タバコ切れちゃったから買ってくるね。」
家でもきっとこんな感じで、かこはコンビニまで足を運ぶんだろうな。
そう思いながらソファに体を預け横になる。
流れるカラオケチャンネルの音。
テーブルの下に広がる小さな闇。
このテーブルを境にして広がる二つの世界を眺めているのは、きっと僕しかいない。


「ただいま。」
タバコを買ってきたかこがぼくの頭の隣に座る。
ふと両手で掴まれる頭。
持ち上げられて、ぼくの頭は柔らかいものの上に置かれた。
ふいに撫でられるぼくの髪。
見上げるとかこと目があった。
落ち着いたその目に映るぼくはどう見えるのだろう。
時が止まったこの空間でなにを望むのがいいのか、ぼくには分からなかった。


カラオケを出ると外は明るかった。
太陽の日差しの強さが、今日の暑さの強さを示しているように感じる。
ぼくらは駅に向かって歩いた。
夏の日差しを受けながら、まぶしそうにかこはぼくに手を振った。


**********

8月に対する感情をいつからか失っていることに気づいた。
子どものころは寂しさと虚しさに包まれていたと思うのに、もう9月ですねという、乾いた感情しか持ち合わせていないように思う。
お盆を過ぎると、かこは夏休みと有給休暇を取っていた。

あれから一度電話で話をした。
テーブルに置いた缶ビールは1時間をかけてゆっくりなくなっていった。
あのときのかこは部屋に一人だったのだろうか。
それとももう彼氏との関係は解消されて、お互い干渉せずに部屋にいたのだろうか。


「荷造りとか大変そうだね。」
「まあ意外と荷物少ないから、そんなに時間もかからなそうだよ。」
「そうか。時間作ってそっちに遊びに行くね。」

既読という2文字の返信がきてから、やりとりは途絶えている。

あっという間にやってきた8月30日はとても暑かった。
自分が夏であったことを思い出すかのように。
暑いから引っ越し大変そうだね。と朝からなんども打っては消してを繰り返して、結局送らずにいる。
言葉はそのときに伝えないと、なんの意味ももたなくなるらしい。
「言葉にもある賞味期限」みたいなコピーをどこかで見た気がする。


もう引っ越しは終わったのだろうか。


いつもの帰り道をゆっくりと歩く。

いつもの改札。
いつもの交差点。
いつものコンビニ。

自分の意識のなかにある人が身近なところからいなくなるだけで、こんなにもいつもの風景が変わって見えるなんて、不思議だ。

ゆっくり車の流れる道路。
踏切でふと左に目を移す。
スピードを落として止まる車が続く中、1台の車が止まらずに行ってしまった。

加速する車。
感じる違和感。
速くなる鼓動。


「おいっ!」


そう叫ぶと足が自然と動いて駆け出していた。
遠くなる赤い光。
映し出されていくいつもの風景。

ゆっくりとスピードを落として、さっきまでのスピードで歩く。
目に映っているものはやっぱりいつもと変わらない。
けれど、どこか別世界にいるみたいな心地だった。
まるでカラオケでみたテーブルの上と下の世界みたいに。


あのときみたいにゆっくり電話で話せると思っていた。
けれど引っ越し当日は話せるわけなんてないことに、今更ながら気づいた。

無事に着いたのだろうか。

顔を上げると家が見えてきた。


手に持っている袋のなかで、500ミリ缶が揺れている。


かめがや ひろしです。いつも読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、インプットのための小説やうどん、noteを書くときのコーヒーと甘いものにたいせつに使わせていただきます。