見出し画像

39歳になったらしい新潟で働くベンチャー企業の社長が今想うこと。

台北から新潟に戻り、令和3年3月3日に株式会社サンゾウを創業。今2年目になり、僕自身は39歳になったらしい。

遡れば33歳までは、年齢を意識して将来の為に生きた。僕は子供の頃から、33歳をなぜか意識してきた。中学校の卒業文集の質問で、結婚するなら何歳が良いかというものがあった。それにも33歳と答えた。ビックリするのは、実際に結婚したのは33歳だった。

社会人になったら、さらに“将来のために”という意識を強くもちながら、目の前のことに邁進していった。だからこそ辛いことも頑張れた。そんな感じで僕にとっての将来のための将来は、いつも33歳のイメージだった。

33歳になった時には、前職のカプセルジャパンにいて、台北に住んでいた。今もサンゾウでがむしゃらだけど、当時も本当にがむしゃらに結果を出すことに集中していた時。ビジネス人生的には、2年後の35歳ぐらいには、ありがたいことに取締役となり、経営者という立場になった。

その頃には、気づけば、過去に抱いたイメージを達成していた。だからだろうか。35歳ぐらいには、逆に将来のイメージが突然無くなったのだ。目指すものを失った感覚に陥った。当たり前といえば当たり前だ。33歳をイメージして歩んできてわけだし、完璧ではないのだけれど、そのイメージにも到達していたのだから。

35歳ぐらいの頃の感覚は、前職を退職する時にnoteにも記載している。

20代のころからすると考えられないようなシンデレラストーリーに見えますが、実感は少しずれていました。「僕自身がカプセルの数字を積み上げた」「カプセルをリードしているのは自分だ」という自負はある。しかしその裏には、自分が想定していた「成功」に近づいた結果、個人としてどこを目指したら良いのかわからなる感覚に陥りました。がむしゃらだった当時、会社が大きくなった先のことは、あまり考えていなかった。組織としては未来を考える役割として埴渕を信じてもいたので。結果的に未来を見たとき、その先に個人として何があるのかがわからなくなってしまったのです。埴渕にも、率直に急にロールモデルというか目指す方向性がわからなくなってと、いつものようにランチを食べながら話した記憶があります。

それでも、経営者として歩める機会をもらい、もっと経験を積み重ねたいと思って、また挑戦し始めた。その頃には娘も産まれた。将来の自分のためにだけでなく、自分の娘や世の中の子供たち、生まれ育った新潟のためにという考えが強くなっていった。

その頃には、もう自分のためだけでは、ある意味生きれない体質と経験と年齢になっていたのかもしれない。

今でも山を登り続け、理想を追い求めているわけだけど、あくまで、毎日が本番。希望をもちつつも、今を全力で生きるように、自然とシフトしていった。

つまり、以前と大きく変わったことは、年齢を軸に生きなくなったこと。結果的に、年齢を聞かれたりすると、自分は今何歳だっけ?と思うことがよくある。いつもGoogle先生に聞いてしまう…

だから39歳になった今は

妻と娘がいて、仲間がいて。さらにご縁あって、新たに知り合う人たちもいる。日々思考して行動している。ただ人生は必ず終わる時がくる。そう考えると大前提として、すでに十分に幸せなのだ。

だからこそ、毎日やり抜いたなら、結果はどうなっても構わないのではないだろうか。僕は、平凡ではなく、伸るか反るかの人生を選んでいるわけで、今まで両方を味わってきたように、今後も両方を味わっていく可能性は高い。
それで構わない。伸ることがあっても反ることがあっても良い。なぜなら、必ずそれこそが、人生の濃度の高さにはつながっていくだろう。

人それぞのの価値観があって良いわけだけど、僕の価値観としては、人生の濃度が大切だと思っている。その濃度を決めるのは、プラスになった、マイナスになったとかではなく、本質的な日々の自分の高揚も絶望も含めた充実感と自分のためだけではない誰かやどこかへの還元ができているかだと想う。

やりたいことはたくさんある。

歳を積み重ねると好奇心が薄れていく。だからこそ好奇心は大切だ。そして好奇心があるからこそ、行動力が上がる。好奇心は人生の濃度を上げるためのガソリンのようなもの。

海外渡航もしやすくなってきている。上海や台北にもいきたいけどまだ時間はかかるか…バンコクやインド、ジャマイカ、アフリカも…海外だけでも行きたい場所はたくさんある。せっかくだから現地語でコミュニケーションを取りたいと思ったり。

株式会社サンゾウでも

サンゾウとしてもやりたいことは多い。仲間を増やしていきたいし、誰かの何かの為に役に立ちたい。僕としてどう生きるのかを、サンゾウを通しても表現していきたい。パーパスも決めて、するしない、良い悪いの判断は以前よりも明確になっている。だからこのまま突き進んでいきたい。ぜひお役に立てることがあればお声がけいただけると嬉しいです。お仕事ください。

6回目の結婚記念日では手紙を妻に渡しました。

プライベートでは6回目の結婚記念日を無事に迎えることができました。6年前の入籍日は、13日の金曜日、仏滅でした。いつも混んでる池袋の区役所も非常に空いていた。というか婚姻届を出したのは僕らだけだっただろう。 日本への出張の時間がその日しか確保ができなくて。

それでも結婚してる人なら誰もが理解できると思うけど、その当時から結婚はゴールではなく、スタートだと自分自身として強く思っていたので、その気持ちを忘れないためにも良いかなと思ってました。

おかげさまで、お互い持ちつ持たれつで、支え合って生きております。今では胃袋の趣味趣向は本当に同じでびっくりするぐらい。何を食べたいかが重なり合います… 

今回、結婚記念日には妻へ手紙を書きました。サンゾウをまだまだ立ち上げたばかりで、高価なものを送るほどの余裕はない。それでもしっかりと感謝の気持ちは伝えようと。
手紙はタブレットに手書きで。その後にPDF化。初めての試みでしたがかなり良い。一生残るし無くならないし。手書きだから気持ち込めれてるし表現もできる。受け取る側も、人によるだろうけど、普通の手紙と感情的に変わらない。エコでもある。
今の大学生はタブレットでノートをとったりするのが普通なのでしょうか。こういう時代の変化には積極的であり続けたいと思います。

40歳には

何を考えて何を行動しているだろうか。30代が終わって40代スタートだ的な大それた節目までは思わない。人生が終わるまで思いっきり生き続けていれてるなら、それでall okだ。希望や好奇心を持ちながら、自分だけでなく誰かやどこかのためになれるなら本望だと思う。

サンゾウのパーパス通り、「アナタをハッピーに。そしてみんなでセカイに変化を。」で生きていれてるか。大人になれば、学年が上がったとか高校に入学とかそういう節目がないからこそ、定期的には振り返りたいと思う。

いつもの宣伝関連

株式会社サンゾウでは、一緒に頑張ってくれるメンバーを募集しております。

最近HPの内容をリニューアルして分かりやすくしました。人材部分と事業内容部分を主に追記。事業内容の部分では、僕自身クリエイターとしての道も追求しているので、それも事業化。もちろんすべてを内製化しているわけではないのですが、クライアント側として、サンゾウのバリューや在り方を支持いただける方で、モノづくりのニーズがあれば、サンゾウを起点にチームを作って、お手伝いさせていただければと思っております。

クリエイター側で一緒にやりたいと少しでも思っていただける方も募集しております。クリエイターとして生きるのは、簡単ではないと理解できているからこそ、そういう機会をサンゾウとして創出したいという想いがあります。

また大学生のようなポテンシャルあふれる方とも接していければとも思ってます。そのほか、サポーター的な感じでサンゾウを支持していただける方なら誰でもお話しさせていただき、お互いメリットのある時間にできれば嬉しいです。

-----------------------------------------------
亀貝 康明(KAMEGAI YASUAKI)
株式会社サンゾウ 代表取締役

新潟で株式会社サンゾウを創業して、地方発ベンチャー企業として日々拡大中。元CAPSULE Inc.取締役。上海、台湾在住歴あり。中華圏やアジアを中心とした海外生活や海外ビジネスに関しても発信中。

Twitter→https://twitter.com/kamegai_sanzo

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?