量産品・普及品で日本のモノづくりを誇るのはやめよう
X(旧Twitter)で日本製・中国製の同一商品を比較し、日本製の品質・技術は素晴らしいとするポストを拝見しました。
該当ポストは釣りっぽいので貼りませんが、『練りボタン』という商品の日中製造比較で、日本のものが優れているという趣旨でした。
同一規格・同一品質・同一仕様の商品で比較するのなら純粋に「日本製」「中国製」という大きな主語の比較が成り立つと思うのですが、あくまで「同一カテゴリ」の商品を比較するポストでしたので非常に恣意性が感じられます。
この恣意性に『日本のモノづくり』思考の罠が隠れていると思いましたのでシェアします。どうぞお付き合いください。
大量生産、廉価販売で食っていく国ではなくなっている
日本は高品質の普及品を低価格で世界中に売りまくることで高度成長を実現しました。1行でまとめたので雑さはお許しください。
これは、若い大量の労働力を低賃金で長時間労働できたので実現したわけです。このフェイズはとっくに終了しています。
確かに、日本の普及品は考えられないくらい高品質です。「安かろう、悪かろう」は希少で、安価なものでも品質は高く、海外ではまずそういったものは見られません。しかし、残念ながらそれでは儲かりづらいうえに、そういったモノづくりは多くのサプライチェーン関係者の身を削るような努力で支えられており、永続するとは思えません。
余談ですが工員ではなく、『エリートサラリーマン』が勝ち組であるがゆえに、猫も杓子も大学へ行き、適正がある・なしに関わらず手に職、ではなくサラリーマンになるというのが少し前から現代までの日本で、このあたりは適正無視で強烈な学業戦争に子供を放り込む中国も似たようなところがあります。
高付加価値、ハイエンド、唯一無二の商品で比較してほしい
上記の前提を置くならば、「真似できない技術」こそ誇るものだと思うのですよね。そして、それこそが真似できないがゆえに儲かる商品で、低価格競争を中国としても、一定以上の品質が担保されるなら勝てません。
例えば、『練りボタン』は合成樹脂のボタンですが、該当ポストではジャケットやスーツ上衣のような重衣料に使われるようなボタンを紹介されておりました。
ハイエンドな重衣料では、そもそも『練りボタン』を使われず水牛の角、貝、椰子の実などの天然素材や、メタルボタン、金ボタン、七宝などを使われることも多くみられます。
本当に拘るとなると、アンティークボタンを探される向きもいらっしゃいますのでもはや日本製や中国製といった概念からはかけ離れたものとなります。
『練りボタン』の品質で中国と勝負する・・というポストが、オーガニックにバズっているとするならば悲しいことです。
唯一無二のアンティークボタンショップを紹介
最後に、1968年創業、2019年に惜しまれつつ閉店したアンティークボタンショップを紹介します。ニューヨークにあった「テンダー・ボタン」というお店です。
上記は、同店の閉鎖を報じる記事です。本当に宝石のような、素晴らしいお店でしたので寂しい限りです。
しかしながら、ここからも専門性・唯一無二性、それもアンティーク商品の歴史的価値で勝負したからこそニューヨークで51年も続いたのだと感じます。『練りボタン』だけでは資材屋の1引き出しで終わってしまいます(別に否定していませんが、それだけでは商売は成り立ちません)。
本当に真似できない価値を創造、もしくは発見し稼ぐことで、日本を稼げる国にしていきたい、と現在外国で働きながら切に願います。
お付き合いいただきありがとうございました。