クリープハイプの好きな歌詞を書き出していく。②

タイトル通りの記事②です。②が出たぞ!
前回と同じく自己解釈の備忘録。今回は、ちょっと前の好きな曲の好きな歌詞について感じてることをつらつらと。


そういえば今日から化け物になった

「勘違いも甚だしくて笑っちゃうけど 世界に巣食う事で生きてる 夢なら醒まして忘れてよ 僕が忘れるよりも先に」

こういう人外が好きで……………
初めて聴いた時に尾崎世界観こんな歌詞も書けるの!?とびっくりした覚えがあります。
世界に巣食って生きてる化け物が、自分を見てくれる「あの子」に心酔してるのが、本当に性癖なのでダメ。
この化け物にとって、「世界を救うために生きてる」のも「世界に巣食うことで生きてる」のも紛れもなく事実で、勘違いとか馬鹿馬鹿しいとか言ってるので人間に与してるわけでもないかなり中庸な存在ですよね……そんな存在がたった一人の「あの子」のことを考えてるっていうのが癖に刺さりすぎる。この辺初めて聞いた時からずっと言ってる。
そして1番が「夢なら醒まして忘れたよ」で、2番が「夢なら醒まして忘れてよ」なのも、一文字違いで大違い。1番は『世界を救うために生きているから、自分の夢なんかさっさと忘れてしまった方がいい、でもあの子のことは忘れていないのに』という表現で、2番は『自分のことは夢だと思ってさっさと忘れてくれ、自分が君(あの子)のことを忘れるよりも早く』という表現になってる。多分この化け物は一生「あの子」のことを忘れないんだろうな。好き~~~~~~~~~~~~


けだものだもの

「「ほど」では済まずに本当に喉から出てきた手を それでも優しく握り返してくれた手
どんな姿をしていてもなんてその口が言ったんだね 握り潰した手の感触さえ優しく手のひらに残った」

こういう人外が好きで(Part2)……………
「世界観」の中でも超鬱々しくて異色だけど、めっちゃ切ない重たいナンバー。
ここの歌詞マジでほんとに切なすぎて辛い。喉から手が出るほど愛しい相手を、自分の手でぐちゃぐちゃにしちゃう人外、めちゃくちゃ悲しくて良くないですか?
「空っぽの目には映ることのない」って言ってるから、もしかして好きな子は目が見えてない…?のかもしれない。どうしてそんな…………………
最後の「死んでね」は、誰に向けられた言葉なのかなあ〜……自分へ向けた殺意でもあり、もしかしたら『見えない目を凝らしてまで自分の本当の姿を見てしまった相手』に向けた、醜い自分を見てほしくなかったという気持ちから生まれてしまった最後の言葉なのかもしれない。「どんな姿をしていても」って言ってくれてるのにそれを信じ切れなかったけだものの悲しい末路……好きだ……


蜂蜜と風呂場

「蜂蜜みたいな味がするなんて 嘘ついて嘘ついて 嘘ついてくれてありがとうね蜂蜜みたいな味がするなんて 嘘ついて嘘ついてくれた」

まあこれはここですよね…
口でした後残るものに対して「蜂蜜みたいな味」と嘘をつく、つかれる、その心情やいかに……
ここでの嘘は優しい嘘だな〜と思う。味の不味さも、関係の気まずさも、そういったものを紛らわすためについてくれた嘘。嘘は本当を誤魔化して有耶無耶にするためにつくものだから、相手は何かを誤魔化そうとしてる、それを主人公はちゃんとわかってる。でもそれを受け入れるしかなくて、切ない。
タイトルに入っている場所が風呂場ってのもいい。ハチミツとクローバーのもじりでしょうが、バスルームじゃなくて風呂場とすることでなんだか少し情緒がある。付き合ってない人との事後のやるせない雰囲気とか、帰らなきゃいけない時の微妙な焦燥感とか、でも「シャワー浴びる?」って言われてなんか断れない雰囲気とか、そういうの全部吸い込んだ重たい湿度がある場所。
「もう時間ないから口でよろしくね」はそういうことでしょうね。口だけなら風呂入らなくていいから。
欠伸、美人局、イノチミジカシ〜あたりを思うと、相手は夜職の子なのかな?「月額定額制」なので金を払ってる関係なら風俗だけど、もしかしたらお店だけの関係じゃないのかも。ここは各々解釈が分かれそうですね。個人的には風俗の子に恋しちゃって…とかだとストーリー的にも好みだ。どんな関係であれ、主人公は嘘ついてもらえただけありがたいと思ってるんでしょうね。
ちなみに、口でする行為って通常よりも『受け止める』という意味合いが大きい気がする。受け入れるのではなく『受け止める』。そこで終わらせる、断ち切る、ような。そういうニュアンス。だから私はこの曲を聴く時、常にうっすらと関係の終わりを考えています。


2LDK

「君の為に料理をする2人のキッチンに何となくあのタイミングで帰れなくなった
ギリギリ嘘にしないで答えるね 未だに考えてる」

こんな歌詞でこんなタイミングのこんな感情の曲なのに、メロディはすごく爽やかでカッコいいのが本当にダメだと思います。
この曲の登場人物たちは、ある日を境にふっと、一緒にご飯を食べなくなったのだと思う。家に帰らなくなって、一緒の時間を過ごさなくなったのは「何となく」だから、そこにちゃんとしたきっかけすらもなくて。その前もその間も愛は1秒ごとに容赦無く冷めていって。あなたのことは考えてるけどそこに愛はないんだよ、と、告げることができてしまうまで。
その理由は曲の中では明かされていないけど、個人的な解釈としては、二人の価値観の差があったんじゃないかな……と。曲中の対比として結構明確だなと思うのが、男は「君のためのキッチン」と呼んでいて、女は「2人のキッチン」って呼んでるところなんですよね。2人のキッチンだったはずの場所は、男にとっては食事を作る女が立つための場所に過ぎなくて、一緒に暮らし始めたら「キッチンに一番近いダイニング」だけが自分の居場所だと思ってる、そんな男に、まるで寝返りで背中を向けるみたいにして愛がこぼれていっちゃったのかなあ。これまではずっと幸せだったはずなのに、これからは幸せじゃないね…
「鍵はポストに入れといてね/たよ」というのがもう、明確な二人の終わりというか、顔を合わせなくても大丈夫になってしまった関係性を端的に表しすぎていて悲しい…合鍵はガチの『楔』だから直接会わずにポストに入れるのはお互い結局辛くなるからやめようね!(自戒)
それはそれとして尾崎世界観、『食事』という題材がめっちゃ好きだよなと思う。どんなことがあったとしても、喜怒哀楽その他諸々渦巻く感情を全部飯に混ぜ込んで飲み込んで生きていけという強い意志を感じる。


お引っ越し
「「いつかまたどこかで」とか言える軽さで 無理して積み上げたダンボール」
「「幸せになって」とか言える重さで 無理して持ち上げたダンボール」

これこの対比めちゃくちゃエグくないですか!?!!?
「いつかまたどこかで」と軽く別れようと思っていたのにそんな感情がどうしてか積み上げるくらいあるということと、「幸せになって」という相手への気持ちがまだ残っているのに全部持ち上げて新たな場所に持っていかなきゃ行けないということ。
お互い大好きだった誰かと離れる時って、その好きっていう気持ちが完全に無くなったわけじゃないから、確かにこんな感じのやるせなさ、ある……と思ってしまう……。寂しさとも怒りとも悲しみとも違う、心に隙間が空いたようなやるせなさ。何かのピースが足りなくてカタカタ音がするようなどうしようもない感情。
引っ込みがつかなくなってるわけではないけど、心のどこかに残ってる思いだけはどんなふうに詰め込んでも折り合いがつかないから、本当にどうしようもないものだけはここ(あなたのところ)に置いていくからね、と言ってしまうような主人公……そんなに無理するならもう一回やり直しなよ〜;;って思ってしまうけど、多分その荷物って2人とももう持てないんだよな……。その感情自体は大きくも重くもないんだけど、もう2人ともそれ以外の荷物を背負っちゃって、持てなくなっちゃったから、引っ越すときに置いていかないといけなくなっちゃった。
一緒にいた男女の別れについてくる物理的な引っ越しという行為に引っ掛けてその時の心情を書くのがめちゃくちゃ上手いな……と思う一曲。初めて聞いた時からこのアルバムの中で1、2を争うくらい好きですね。


今回は、いつも生々しい人間の関係性を書いている尾崎が逆に人という縛りの外側から書いているような曲と、対照的に人間の持つどうしようもないやるせなさを含んだ関係性の曲について書きました。
どんな背景にしても、尾崎世界観の書く歌詞の登場人物は『もうどうにもならないな』という諦観の中に、それでも自分も相手も己の人生を生きていかなきゃいけない、という確かな意思を含んでいるなと思います。互いの動かせない事情が絶対にあって、それを自分に取り込んで織り込んでいかなきゃいけないのが人生。どんなに悲しくても腹は減るんだね。
つぎはハッピーな方の曲をいろいろ書きたいですね。

ではまたそのうち

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