努力している人を見ると、なぜだか自分の弱みと向き合える
夢から目覚めた亀です。
世の中は物事に全力で取り組んでいる人を応援する
世の中では一つのことを突き詰めたり、結果が出ずとも物事にひたむきに取り組んでいる人を称賛します。
最近の箱根駅伝をはじめ、主にスポーツや芸術にフォーカスが当たります。
スポットライトがあてられるのは、そのことに一生懸命に取り組んでいて、人生をかけている人たちです。彼ら、彼女らには夢があり、ストーリーがあります。私たちはそれを知り、全力で頑張っている人に心をうたれ、感動をし、応援をするのです。
自身を振り返って
自分自身も、一つの物事にずっと取り組んできました。約15年。とても強い思い入れがあり、楽しかったこともつらかったこともあります。
どれもかけがえのない思い出であり、反対に忘れたいことでもあります。
今は、そんな思い入れのあったステージから身を引き、それを見るくらいです。
実際にやることはありません。
ですが最近、夢で見ることがあります。ステージに立っている自分。そこでトラウマがよみがえる。周りの力に流され、自分の色を見せることができない。言葉には言い表せないものが自分を不安に陥れる。たたきこんだ「首を振る」癖を目が覚める瞬間に繰り返す。
・・・それは苦しかった。
人を応援するのは、その人が苦しいことを知っているから?
物事を続けることは、それだけ何かを背負い続けていくことなのかと感じています。それは、自分にたたきこんだ楔があり、それは決して笑顔で語れるもんじゃない。だからこそ、私たちは一つのことに取り組んでいる人を称賛するのではないか・・・、と思うのです。
最近の自分の考え
私は今就職活動をしていて、一つのことに取り組んだ経験をよく聞かれるし、耳にします。ほかの人の経験に耳を傾けた時、その人がどのくらいその物事に時間を費やしていて、どのぐらいの思いをもっていたのか考えてしまいます。
私には話すことができない、自分自身でも振り返るのがきついことはあったのだろうかと。
そう思うと、どうしてか自分の弱みと向き合っていける気がしてくるのです。
読んでくださってありがとうございます。