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数字が気になる

数学も教えているけれど、数学が本当に好きかと言われれば違う気がする。
物理は苦手だし。


自分では、完全文系人間だと思う。

でも実は、日常に潜む数字はとても気になるのである。
子供の頃、そろばんを習ったり、公文に行ったりもしていない。
数字に執着する要素は特になかった。

でも、人と話していて、あれ?他の人はそういうこと気にならないんだと思うことがある。
例えば、息子は一人で何か食べに行くとすればラーメンだ。
「その店、何人くらい入る店?」
「わかんない。そんなのいちいち見ていない」
「いちいち見なくてもだいたいわかるでしょ」
「数えてないし」
「え?数えるでしょ」

というような会話が時々あって、私が変なのかもと気づいた。

目につくものをすぐ数えたくなるのだ。
電車に乗れば、車両にどのくらいの人が乗っているか数えてしまう。
スマホを見ているのは何人か、とかも数えたりする。
ホームの階段も上り下りするときに、1、2、3・・と段数を数える。

スーパーは数字の宝庫だ。
20%割引ということは、〇〇円お得。
これは誰でも考えていることかもしれない。
それ以外にも、積んであるかごの数、今スーパーの中に何人いそうかなど。
あまり数が多い時はしない。
元々する必要はないのだから問題ない。
別に数え間違えていても良い。
ただ無意味に数える。

駐車場では、車が何台止まっているか数えてしまう。

喫茶店や、レストランに行ったら必ず数えるのが座席数。
そしてお客さんの数。
友達とか知人と行ったら、おしゃべりするのだから、数えるのはそこまで。
これが夫となら・・
無言の瞬間もあるので、30分後位の客数の推移まで数えてしまう。
ということは・・・?
お店の開店時間、おおよそ一日に来るであろう人数。
全員がコーヒー一杯だけなら、一日の売り上げがいくら・・・

おたく誰?
経営者?
いえ、ただの客です。


経営者なんて、傲慢な立場で見ていない。
ただの数字フェチである。
ショートケーキの中心角が45度位だと、ホールケーキ8等分だったのねとか。

運転していて、前の車、渋滞時の対向車のナンバープレートもつい見る。
「これは誕生日か記念日か?」
「ゴロ合わせしたら〇〇〇〇か・・」
など。
これは、気になっている人もいるとテレビで聞いたことがある。

自分のこの癖については、ちょっと前から気になっていた。
今もこの文を推敲しながら、その理由を探っているわけで・・・。

そういえば、大学時代、阪急梅田駅に降り立った日のことを思い出した。
終点駅なので、乗客がどんどん降りて、どんどん歩く。
ふと見ると前方に、

川の流れを分かつ岩

流れをさえぎる1人のおじさん。
上をずっと見上げている。
見上げながらもゆっくり回っている。
変質者かもしれない。

眉をひそめながら彼を避ける人々。
私もだんだん近くに来てしまった。

なんと、それは、
わが父!

「お、おとーさん!」
「あ、なんや、お前か」
「何してんのよーぉ」
「あ、今な、天井の蛍光灯数えててん」
「えーーーっ?」
「こんな明るいのに(朝10時過ぎ)、こんな電気つけてな。どない思う?電気代一日なんぼいるか考えてみー。お前やったら阪急の株買うか?」

なんのこっちゃ。
「私、友達と待ち合わせてるから行くわー」

「ふん・・・」
気のない返事。
娘の言葉など聞いてない。
振り返ると、蛍光灯を数え続けていた。
乗客も減って邪魔になっていないようで良かった。

父は、当時サラリーマンではなかったので、神出鬼没なのはわかるが。

帰宅して、母に
「今日、梅田で天井の蛍光灯数えてる人に会ってん」
というと、
「もしかしてそれお父さんちゃうの?」

母は偉大

てか・・・

遺伝か・・・






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