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「恥ずかしい」と「価値観」

いつもなら明日3月15日が確定申告の最終日。今年はコロナ対策で締め切りが1ヵ月伸びているが、書類の準備が無事終了。明日で終わらせるつもり。オドガクする時間も、ずいぶん帳簿の整理に取られた。あと一山越えれば、ラクになる。もっとこまめに帳簿整理しておけば…と毎年この時期思う。

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オドガク頻度が下がったおかげで、オドガクの踊り始めがやたら恥ずかしい。動画をセットして、ボリウッドダンス動画を準備して、さて、ぼつぼつ始めるか…とダンスの真似をし始めた瞬間からの数分が「こっぱずかしさ」のピーク。暗くなりはじめた窓に映る自分の姿を見て「何やってんだろ…」と我に返る。ブログに書いている今も、その時の状況や感情を思い出して、少し恥ずかしい。この「踊り始めの恥ずかしさ」は5分も経てばなくなり、その後はオドガクに集中するのだが、よくもまぁこの恥ずかしさをくぐり抜けて、「オドガクやってみよう」と思ったものだ。ほんと偶然。多分、最初にウニやナマコを食べた人も、何の気なしに口に入れたんだろうな、と空想。

オドガクの踊り始めの「恥ずかしさ」を改めて感じるようになったのは、オドガクが習慣から外れたからだろう。習慣についての本は、好きでよく読んでいる。しかし「習慣と恥ずかしさ」については見たことがなかったので考えてみた。

私は口を開けて寝てしまう。朝、喉がカラカラに乾き、よく風邪をひいた。それを防止するために、寝るときにテープを口に1枚貼り付けて、口が開かないようにしている。当初、これを他の人に見られるのが恥ずかしかった。風邪の予防にもなるし、口腔内の健康にも良いらしい。よだれで枕が汚れることもない。利点は頭でわかっていたが、「恥ずかしい」は拭えない。実家に帰って泊まった時は、見られないように布団を頭までかぶって寝ていた。最近、この「口テープ」は認知されてきたようで100円ショップでも見かけた。今ではさほど恥ずかしくない。実際こうしてブログにも書いているし。でも当時は、「なんでテープしてるの?」と聞かれること自体恥ずかしかった。「理由」と「感情」は直結していないのだ。

「世間体」「スクールカースト」「社内政治」…。集団の中での「同調圧力」でのリアクションの1つが「恥ずかしめ」だろう。「口テープ」も、「オドガク」も、なぜ恥ずかしいかといえば「同調圧力」に反しているから。「人から見られると笑われちゃうから」だ。しかしこの同調圧力を作っている元の情報は、日々発見/更新され、浸透していく。さらに情報は、年齢、リテラシー、科学技術、個人の生活/性格など様々な影響を受ける。「どの情報を得るか」と同様に「何回その情報を見るか」も重要になる。情報の質と受け方が価値観につながるのだ。私個人も年齢を重ね、価値観が変わったことで、こんなこっぱずかしい自分をブログに書けるようになったのだろうなぁ(*´∇`*)えへ

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追伸
当初、書こうと準備したマインドマップのメモよりもずいぶん脱線した。3分の1くらいしか書けなかった。残り3分の2は次の機会に。準備のメモは、もっと少なくて良さそうだ。

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