オドガク経過観察 オドガクの踊りの役割は学習ストレスのアースの役割では?
午前中1時間位、iPadとスマホで計2台でオドガク。今日は初めて英語アプリのロゼッタストーンで、英語学習のアクティベート学習オドガク。新しいダンス動画も見つかったし、楽しく独学できた。
オドガクやりながら思った気づきとして、「オドガクのダンスの役割は、勉強しているストレスのはけ口=アースになっているのではないか」というもの。昔、重労働をしていた昔の人たちが、歌を歌いながら仕事をこなしていて、それがルーツとなって民謡や労働の歌ができた…という話を思い出した。また、キツい部活の時に大きな声を出させるのも、イライラしたときに貧乏ゆすりをするのも、受けたストレスを逃すためだろうし。
オドガクの場合は、それが劇ゆるダンスになるのでは?また、足メインのステップだけのエクササイズ動画や盆踊りやストレッチなど、ゆっくりしたペースのダンス動画がオドガクに合わないのは、ストレス除去の効果が足りないからなのではないだろうか?動画学習は、モニターの前で長い時間体を止めて、大事ではあるけれども全然わからない動画を見続ける初級者時期がとっても辛い。オドガクのゆるいダンスは、それ自体はストレスにならない程度のものだから、うまくストレスのアースになるのだろう。逆にハードな動きをしつつ学習動画を見続けられないのは、スマホやタブレットのモニターと言う物理的制約のほかに、我慢という精神的なストレスの除去ができない状態で、さらに上乗せして肉体的に大きなストレスを受けるからかなと思う。「しんどいのに見てられるか」って事か。
動画学習が終わってから、何か他の方法でストレスを解消するよりも、動画学習ストレスを受けているときにうまくストレスを受け流すようにしたほうが、結果長い時間ゆるく独学ができるし、動画学習への苦手意識を持たずに済むし。
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