色褪せないオフコースと小田和正の思い出
今春の風邪で寝込んでいて、手持ち記事がないので、使わないかもと思っていた記事ですがアップします。なので、↓見終わったのは2月かな?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こん○○は、今回は?真面目な内容です。
こちらを録画していたのを、先ほど見終わりました。
正直なところ、視聴し始めてなんだか涙が滲んできました、なぜだろう?
思うに、予想していたよりも年老いた小田さんの姿と歌声(失礼)に少し悲しくなったせいかもしれません。
もちろん、往年の澄んだ高い歌声は健在です、でも特にキーの高いところでみんなと一緒に歌っていたのはやや意外でした。お年を召されたのかな?
子供時代、貯金をはたいて初めてSONYのラジカセ!を買って(お年玉を真面目に貯める少年でした)、札幌の自宅の自室で、冬場に室内ストーブを焚きながら工作に励みつつ聴いたラジオからは、フォークソングに混じって当時ニューミュージック!!と呼ばれていたシンガーソングライターの曲がよく聞こえてきました。
今はフォークソングの良さが沁みるのですが、当時は良さがわからないハナタレキッズ、ニューミュージックが好きでした。洋楽ではChristopher Crossの”Sailing”などが海外の同ジャンルの曲として紹介され始めていました。
当時ラジオでは二人時代のオフコースの曲もよく紹介されていて、子供心に良い曲だなあと思ったものです。カセットテープに録音して繰り返し聞きました。
そのうち彼らは5人組になり、曲調も初期のフォークよりの曲からロックっぽい曲に変わっていき、そうですね「We Are」は名盤だと思います。
続くアルバム「Over」もヒットして、彼らの曲と共に思春期を過ごしたという思いがあります。姉と札幌厚生年金会館でのコンサートにも行きました。初めてのコンサート、あまりに音量が大きくてびっくりした記憶が残っています。
今思うと、当時から変わらず今でも第一線で歌い続けているのは小田さんくらいかと思います。
次第に好きな歌手は月並みにアイドルやら、ロックミュージシャンに変っていきましたが、小田さんの曲は人生の折々で耳に入ってきたものです。
「ラブストーリーは突然に」や、みなさんご存知の生命保険のCM曲もありました。朝ドラの「どんど晴れ」の主題歌「ダイジョウブ」、辛い下積み時代に涙して勇気をもらった記憶が蘇ります。
コンサートに話は戻りますが、MCではデビュー当時のエピソード、観客が入らない下積み時代にお世話になった方々への感謝の気持ち、スタッフへの感謝の気持ちなど、「ひょっとしてもう歌声をこのような形で聴くことはないのでは?」と思った人は私の他にもいるのではないでしょうか?
と、ここで冒頭の涙のわけがわかったような気がします、「もうあえないのでは?(引退?)」という漠然とした寂しさだったようです。
確かに、いつかはアーティスト(と呼んで良い人は本当に少ない)も老いて去っていくものだと思います。でも曲や、曲と結びついた思い出は決して色褪せていくことのないものだと信じています。
普段はこういう記事は書かないのですが、これらの思いを残しておきたくて、一気に書き上げてみました。明日読み返したら、恥ずかしくって消してしまうかもしれません。
それではまたいつか真面目な文章で。
それにしてもコンテストで優勝して音楽をやめるつもりが、赤い鳥に負けて次点になって、そのおかげで音楽を続けて今に至ったというのは驚きでした。。