我々は不寛容に対しても寛容であるべきか。
1 はじめに
いささか大きな題をつけましたが、もちろん「寛容」論一般について議論するつもりはありませんし、そのような能力もありません。当然、本稿はアクチュアルな問題を念頭においています。
ただ、当該問題を直接解決するというよりもう少し裾野を広げ、私たちが現在立っている位置を確認しつつ我々の原則を確立するということまでで筆を止めたいと思います。原則を確立できれば個別問題に対する回答は自ずと明らかになると思うからです。
その際、私が参照するのは小林直樹教授の「政治における寛容と不寛容」(雑誌『世界』1970年2月号 講演録のようでもありますが、以下「小林論考」といっておきます。)です。この論説が発表されたのは所謂70年安保闘争の時期であり、1968年から69年にかけて全共闘や新左翼系諸派の学生運動が盛んであり、東大闘争や日大闘争等が行われ、大学ではバリケード封鎖等が起こっていた時期であります。小林教授の論考もそのような時代背景を色濃く反映したものになっています。
2 問題の所在
ここでの主題は「寛容」ですが、そもそも寛容とは何か。
辞書をひくと「①寛大で、よく人をゆるし受け入れること。咎め立てをしないこと。②他人の罪科をきびしく責めないというキリスト教の重要な徳目、③異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした意見の人を差別待遇しないこと」(広辞苑)であるとか「元来は、異端や異教を許すという宗教上の態度について言われたのであるが、やがて少数意見や反対意見の表明を許すか否かという問題に転化し、ついには民主主義の基本原則の一つとなった」(ブリタニカ国際第百科事典小項目事典)とか言われます。「広辞苑」上記のうち①②は人の人柄や性格を示す意味ですので、ここで問題にすべきは③の意味のそれでしょう。要するに「少数意見や反対意見の表明を許すか」という「民主主義の基本原則」との関係で論じておけば足りると思われます。
なぜ、その意味の「寛容」が問題になるのか。たとえば、私の関わる分野で「ヘイトスピーチ問題」というのがあります(拙著「ヘイトスピーチに抗する人々」2014年新日本出版社参照)。ヘイトスピーチとは「特定の人種や民族等に属する人々に対する憎悪や差別をあおる言動」を言うのですが、ヘイトスピーチ反対を叫ぶと、必ず受ける反論の一つが「他人の意見には寛容であるべきではないか」というものなのです。
ヘイトスピーチの周辺には必ず「人種差別主義」(レイシズム)、「排外主義」、「外国人嫌悪」(ゼノフォビア)、「歴史修正主義」(リビジョニズム)、「自国優越主義」(ショーヴィニズム)、「愛国的好戦主義」(ジンゴイズム)があります。「在日特権」にまつわる「デマ」や「フェイクニュース」の類も、歴史修正主義の派生であると考えられます。
安部晋三が政権に返り咲いた2013年頃から、とりわけヘイトスピーチや排外主義が日本で勢いを増しているという事実には争いがないでしょう。ヘイトスピーチを伴う排外主義を主張する代表的右翼団体は在日特権を許さない会(在特会)です。同様の傾向はヨーロッパにも表れています。ネオナチ諸勢力が移民排斥で勢力を伸ばし、オーストリア自由党、ドイツ国家民主党、デンマーク国民党、フランス国民戦線、黄金の夜明け(ギリシャ)、ロシア自由民主党等多かれ少なかれ排外主義を掲げる政党が議会等で伸長しています。また、「メキシコとの間に壁を築く」等を公約とし、移民排斥を強化に乗り出してKKKからも支持を受けた、アメリカ・トランプ大統領もこの流れに位置付けることができるでしょう。
ヘイトスピーチ、排外主義、歴史修正主義etcこれらに共通するのは、他の人種や民族に対する不寛容さです。とりわけヘイトスピーチは他民族への不寛容さが高じて他民族に所属する個人の基本的人権を侵害するものであるということができます。そこで、我々はそのような「不寛容」を売りにする人や言説に対しても、「寛容」に振る舞うべき義務を負っているのか、これが、私の目下の関心事であり本稿の表題であるということになります。
3 ラートブルッフと「寛容の限界」
「寛容」を問題にするにあたり、「小林論考」がまずとりあげるのはラートブルッフです。周知のとおり、ラートブルッフ(1878年~1949年)はワイマール期に活躍したドイツの法哲学学者、刑法学者であり、哲学の立場としては新カント派に属して価値相対主義を唱え、政治的には社会民主党に所属し、シュトレーゼマン内閣において司法大臣に就任したりしています。
ラートブルッフは1934年に発表した「法哲学における相対主義」の中で、価値相対主義は、一つの思想のみが絶対的に正しいとして、これを独裁的に強行するということをしないで、それぞれの主張や意見がそれぞれの価値を持つということを認めて、それらに対して寛容な態度をとり、自由にこれを解いたり広めたりすることを、許容する、だから相対主義と民主主義とは本質的に結び合うと主張しました(この要約は小林論考によりました)。
本稿との関係で重要なのは、寛容の限界を述べる部分です。
「民主主義は何事もなし得る。しかし、自己自身を決定的に放棄することはできぬ。……もしも一つの見解が思ひ上って自らを絶対に妥当であると倣し、その立場から、多数を無視して権力を獲得または把持しようとするならば、民主主義の国家はその固有の手段によって、観念および論争によってばかりでなく、国家の実力によってもまた、これと闘はなければならない。相対主義-それは普遍的なる寛容であるしかし、不寛容に対してまで寛容ではない(グスターフ・ラードブルッフ「法哲学における相対主義」尾高朝雄訳〔ラートブルフ著作集4『実定法と自然法』東京大学出版会9頁〕)
この論文が発表された状況に注意する必要があります。論文が発表された1934年は、ヒトラー内閣が成立し、全権委任法が成立した年(1933年)の翌年になります。つまり、ファシズム国家がまさに完成しようという政治的動乱の中で、ファシズムに対する学問的プロテストとして書かれたのがこの論文であり、論文中「不寛容」といっているのは、ナチス国家のような全体主義体制を指していると読むことができると思うのです。
「小林論考」は「不寛容に対しては寛容でない(寛容にすべきでない?の意味でしょうか?)」というラートブルッフの主張に疑問を呈します。曰く「デモクラシーの敵にまで寛容ではあり得ない、という言い方をするならば、民主主義の名をかたる独裁者に、思想弾圧の口実を与えることになります。」そこで、小林論考は、ホームズ裁判官の「思想の自由市場論」を引き合いにだし、「民主的な対話とその前提となる思想、とくに政治的な思想への寛容は、民主主義の根幹であり、不可欠な条件である。これがなくなってしまったならば、民主主義は死滅する、だから、必要なのはむしろ、異端に対する寛容だ」とし、「私もまたこの考え方に、原則的に同意せざるを得ないと思うのです」とします。
小林論考がいうとおり、デモクラシーの敵にまで寛容ではあり得ないというと民主主義の名をかたる独裁者に思想弾圧の口実を与えることになり危険であるということは、一般論としては一応もっともだろうとは思います。しかし、それでは、ナチスの苦い経験はどのように克服されるのか、その経験に基づいてラートブルッフがむしろ戦後は「自然法の復活」を唱える方向へと進化している点をどう捉えるのか等、疑問が残ります。そもそも小林論考がラートブルッフへの対応として挙げた「思想の自由市場」という考え方がホームズ判事によって示されたのは1919年で、未だナチスの経験を経ていない時代の理論であるわけです。「思想の自由市場論」がナチス時代を経てのち通用するのか(正しい思想は市場で勝つというのであれば何故ナチスは政権を握ったのか)、大いなる疑問が残るわけです。
なお、 ラートブルッフが言う「価値相対主義」と「寛容」の関係については、井上達夫教授から反論があることを踏まえておく必要があるでしょう(なお、非武装中立論者の私は、井上氏の「9条削除論」には断固反対です)。井上によれば、寛容精神の基礎は「自己の価値判断の可謬性の自覚」にあるというべきであり、「価値相対主義は価値判断が客観的妥当性をもち得ることを否定するというまさにそのことによって、我々の価値判断が可謬的であるという観念をも破壊してしまう。実際、相対主義者たちは我々の価値観が証明不可能であるだけでなく、それが内的整合性さえ有していれば反駁も不可能であることを強調する」といいます(「共生の作法」199頁)。この問題は重要なので、あとでもまた触れることにしたいと思います。
4 マルクーゼの「抑圧的寛容」論とその射程
小林論考が次に取り上げるのは、マルクーゼです。ヘルベルト・マルクーゼ(1898年~1979年)はドイツ出身のユダヤ系哲学者で、前提「法哲学における相対主義」が発表された年の1934年、アメリカに亡命を余儀なくされた学者です。1960年代に学生運動を支持し、「新左翼の父」という評価を受けている点には留意が必要だろうと思います。
本稿との関係でマルクーゼが重要なのは、現代ブルジョア社会における「寛容」が一皮むいてみると全く偽りの欺瞞ではないかとして、その一般性、抽象性を厳しく批判している点です。小林論考の紹介にそっていえば(今回、原典にあたる余裕はありませんでした)、マルクーゼが問題とするところは、先進工業社会における普遍的な寛容が、どの党派にも等しく公認を与えるという、いわば純粋な性格を持つことによって、既成の制度、現に支配している全体制の存続に、実際には党派的に奉仕しているのではないか。一見きわめて公平な、抽象的な寛容は、社会の根本悪を助長しているのではないか。マルクーゼはそう論じているといいます。
マルクーゼの所説を正確に理解している自信はないのですが、抽象的な寛容が社会悪を助長している分野が今日でいえばまさにヘイトスピーチを巡る問題になると経験的に思います。街頭でのヘイトスピーチは警察当局に極めて「寛容」に認められる一方、これに抗議するカウンター運動側は多くの逮捕者を出しています。本屋に行けば「嫌韓嫌中」を売りにする出版物は大手をふるう一方、これに反対する書物は非常に少ない。出版社は「売れ筋」かどうかで言論市場への参入を実質的に規制しているのです。また、ツイッター社はネット上で繰り広げられるヘイトスピーチには「表現の自由」の名で広く「寛容」な態度を見せる一方、ヘイトに抗議するカウンター側のアカウントは次々に「凍結」の憂き目をみています。「表現の自由」は全ての者に公平に適用されているわけではなく、常に多数派、体制派に有利にできているのです。
では、どうすればいいのか。マルクーゼの回答は、「反動的、退行的な意見には寛容を与えるべきではなく、逆に進歩的なものに対しては寛容を拡げよ、というテーゼを立てる」といいます。ヘイトスピーチのような反動的な言動には不寛容に、核兵器禁止のような革新的な意見には寛容に、そんな風に割り切れるなら、こんなに素晴らしいことはありません。
小林論考は、「いわゆる純粋寛容性、普遍的抽象的な寛容性が、ゆがんだ役割を営んでいること、ならびにそれを巡るリベラリズムの虚偽意識がはびこっているということは、否定しがたい事実だ」とし、「現代社会における寛容が、真に民主的な意味を持つためには、のっぺら棒に無原則な寛容ではなく、その形態は変革されなければならない」として、マルクーゼの所説に「賛意」を示します。他方、マルクーゼが「真実」の寛容と「虚偽」の寛容を認識するために「進歩と退行」という区別を持ち出した点については、「進歩か否かの見分けもそう簡単にはできない筈であります」と誠にもっともな疑問を呈しているのです。
たしかに、小林論考のいうとおり、「進歩かどうか」という区別はあまりに抽象的であり、同時に危険だろうと思います。マルクーゼが新左翼の父とされ、その理論が新左翼諸派の暴力を正当化する方向に利用されたとすれば、その理論の危険性は実社会で立証されているようにも思うのです。
5 小林論考の「3つのテーゼ」
以上の考察の末、小林論考は次のように述べます。すなわち、「一方において、抽象的な寛容が、現実には多くの歪みを生じているという事実を承認し、なんらかの変革が必要である」、他方「真実の寛容と虚偽の寛容をわかつ正当性の基準が、なかなか確定しがたい」。
そのような「困難」を自覚しつつ、小林論考は次の3つのテーゼを掲げます。
①「デモクラシーの体制を維持もしくは形成していくためには、すべての思想に対する無差別な寛容の原理を再確認すべきだ」(第1テーゼ)
②「民主主義の基本的な価値を基準として、その実現をめざす実践的活動に対しては、広い通路を認め、反対にその価値の破壊をめざす活動に対しては、不寛容な態度が必要だ」(第2テーゼ)
③「正当な目的のための実践が行われる場合においても、その実践活動の方法は無制約ではなく、一定の合理的限界がある」(第3テーゼ)
自由法曹団で上記①に反対する人はまずいないでしょう。③は正しい目的を実践するために暴力を用いるような行動を戒めるもので(小林論考は過激派の学生による火炎瓶闘争を例にあげています)、これを禁止すべきという点で異論があるとは思えません。論争になるのは②でしょう。
小林論考は、第2テーゼに関して次のように述べています。「一定の範囲でこの民主的価値の尺度を有効に用いることができる場合が沢山あります」。小林論考は、その事例として、「たとえばナチスがアウシュヴィッツ等で行ったような非人道的ジェノサイド、あの人種的な差別による大量虐殺を求めるものは、普通人ならいない」という例をあげます。同様に、「奴隷制度とか残虐な拷問」等はこれを退行というほかないとします。さらに小林論考は「一歩進めて、平和や生存権を正当に求める運動に対して支持を与え、反対に戦争をあおり人種偏見をばらまく運動を取り締まることも、寛容の原則に反するものではないと思います。」と述べるに至るのです。
前記のとおり、真実の寛容と虚偽の寛容とを分かつ基準の定立に「困難」を表明していた小林論考は、ここであっさり「民主主義の基本的な価値」というメルクマールを持ち出します。これはいささか意外であり、当該論考が退けたはずのラートブルッフの立場とどう違うのか、と突っ込みを入れたくなりますが、私は結論として、第2テーゼで言われているところに賛同します。その理由は次の6で述べたいと思います。
6 「民主主義の基本的な価値」を損なう思想・言動に寛容を示してはいけない理由
私は次の3つの理由で、小林論考の第2テーゼを支持します。
第1に、時代認識です。すでに述べたとおり、排外主義と人種差別がはびこり、「朝鮮人を殺せ」等と叫ぶデモが繰り返され、インターネットはヘイトスピーチと歴史修正主義であふれかえり、ヨーロッパではネオナチが、アメリカではKKKが勢力を拡大し、「武装難民が来たら射殺するのか」(麻生副総理 2017年9月24日)、「八紘一宇」(三原じゅん子、2015年3月16日)、「LBGTは生産性がない」(杉田水脈 2018年7月)等といった極悪な発言が政治家から日常的に飛び交う今の日本と世界の状況は、ラートブルッフが前掲論文を発表した1934年、すなわちナチスが権力を握ったドイツの状況とそっくりではないのですか。この時代、この状況の中で、排外主義や人種差別に対して「寛容」を示すというのは、歴史の濁流を前にただただ傍観するだけでなく、その流れに身を任せ、社会がヘイトと虚偽の重みで崩壊していくことに、実質的に手を貸していることにならないでしょうか。
私はこのような時代認識から、小林論考とは逆に、マルクーゼよりはラートブルッフに親近感を感じるものですし、ラートブルッフのいう「不寛容に対してまで寛容でない」というテーゼに魅力を感じるものであり、この考え方に近い上記第2テーゼを支持できると思うのです。
第2に、「寛容」の根拠からのアプローチです。ラートブルッフは寛容の根拠を「価値相対主義」に置きました。しかし、価値相対主義とは客観的正義の存在を否定して全ての価値を等価とする考え方ですから、民主主義の価値を「人類普遍の原則」とする我々の憲法観とは相容れないのではないでしょうか。価値相対主義に立つと、人種差別も差別反対も、民主主義も独裁も、戦争も平和も、全て等価ということになりかねないからです。
そうすると、私たちは、井上達夫がいうとおり(くり返し申し上げますが、氏の「9条削除論」には反対です)、寛容精神の基礎は「自己の価値判断の可謬性の自覚」にあると考えるべきであり、そうであれば、可謬性といっても限りがあり、「疑い得ない領域」というのはやはり存在すると言えると思います。たとえば、「人の命は地球より重いこと」「人間と人間とは等しく平等であること」「民主主義は独裁に勝ること」。これらは「自明の理」であり、とくに証明することなく議論の前提にしてよいでしょう。上記のような命題についてまで「もしかしたらそうでないかもしれない」と疑ってかからないといけないとすれば、それは「可謬性の自覚」を通り越してニヒリズムであり、行きすぎた懐疑主義であって、上記価値相対主義と変わらなくなってしまいます。
考えてもみましょう。「朝鮮人をぶっ殺せ」だの「朝鮮人はゴキブリだ」等という言動に対しても、我々は「もしかしたら、我々が間違っていて、朝鮮人には生きる価値がないのかもしれない」とか、「もしかしたら、朝鮮人はゴキブリかもしれない」等と自己の価値観をいちいち疑ってかからないといけないのでしょうか。そんなはずはありません。日本人であろうが朝鮮人であろうが人間は同じ価値を有するのであって、そのことは自明であり、そのことを一々疑ってみたり、一から議論したりする必要があろうはずがないではありませんか。
このことは事実についてもいうことができます。従軍慰安婦問題は、植村隆さんが捏造したものでもなければ、朝日新聞が捏造したものでもありません。まして、従軍慰安婦問題を中国共産党やら朝鮮労働党が謀略でデッチあげた等ということは議論する余地もなく明らかなデマであり、そもそもあり得ない話なのであります。
ホロコーストの嘘と闘い、「否定と肯定」の映画でも知られた、歴史学者デボラ・E・リップシュタットの以下の発言も忘れてはなりません。
「世の中には紛れもない事実があります。地球は平らではありませんし、プレスリーも生きていないのです。ウソと事実を同列に扱ってはいけません。」(朝日新聞2017年11月28日)。
そうすると、これら「可謬性の自覚」の限界こそが、「寛容」の限界を画することになろうかと思います。こうした許容の範囲を超えた、民主主義の基本的価値を犯す言動に対して、私たちは、「寛容」であることができないのです。
第3に、被害者からの視点です。ヘイトスピーチ、レイシズム、排外主義、ゼノフォビア等は常に被害者を伴っています。日本に居住する外国人、他民族らがそうですが、周辺には性的マイノリティー、女性、子ども、高齢者、貧困層等、差別に晒される類型の人々はたくさんいます。ひとつの差別を容認し、「人間と人間とは等しく平等であること」という前提を壊してしまえば、差別はあらゆる局面に広がります。被害者は止めどもなく拡大するということです。
差別の加害者に対して「寛容」であるということは、差別の被害を黙認することになります。それは基本的人権の侵害行為を容認することであり、差別行為をした実行行為者と共犯関係にすらなりかねません。「結局、我々は敵の言葉ではなく友人の沈黙を覚えているものなのだ」とは公民権運動の指導者マルティン・ルーサー・キングの言葉です。私たちは差別を受ける者たちにこのような言葉を吐かせてはなりません。
7 結語
最初に述べたとおり、本稿はアクチュアルな問題を念頭においていますが、私たちが現在立っている位置を確認しつつ我々の原則を確立するということまでで筆を止めます。原則を確立できれば個別問題に対する回答は自ずと明らかになるでしょう。
私たちの寄って立つ原則はなんなのか。不寛容に対しても寛容が求められるのか、否、不寛容にまでは寛容であってはならないのか。原則についての議論が必要だろうと思っています。
初出 2018年7月24日 団通信投稿
ただし、実際には、以下の圧縮版が掲載された。
以上