映画評「福田村事件」〜マジョリティの自問自答
映画「福田村事件」
被害者が日本人である事案を選んだとの点で少し疑問を抱きつつ、とにかく観てみようと思って劇場に足を運んだ。
結論から言えば「合格点」。
前半のグダグダはともかく、後半、朝鮮独立運動に対する日本軍の暴虐との関連、官憲によるデマ拡散、社会主義弾圧との関係等、朝鮮人虐殺事件との関係で押さえるべきポイントは全て押さえていたと思う。
事件発生が震災5日後の9月6日というのにも驚き。そして被害者が被差別部落出身者であるというのもこの映画で初めて知った。「水平社宣言」を読み上げるシーンも感動的だった。
他方、全体として言い訳がましく、マジョリティの視点に立った映画だという側面は否めない。そうではあっても、間違いなく、作った方が良かった映画だった。
私の思想を形成した映画の一つに「プラトーン」(オリバーストーン監督 1986年)がある。この映画には「ベトナム戦争における住民虐殺」のシーンがあった。若かった俺は、当時この映画を観て「自分は虐殺を止める側に立てるだろうか」と自問したものだ。
ベトナム戦争を取材したジャーナリストの本多勝一氏は、「プラトーン」について、ベトナム人の視点がないことを批判していた。「福田村事件」についても同じことが言えることは間違いない。
他方、本多勝一氏も「プラトーン」について、「明らかに作った方がよかった映画だった」と言った。映画は人の思想に影響を与える。37年前に「プラトーン」を観ていなかったならば、俺は反差別側の弁護士にはなっていなかったかもしれない。だから、「プラトーン」は明らかに「作った方がよかった映画」だ。
いま、映画「福田村事件」を見たマジョリティ側の間に「自分は虐殺を止める側に立てるだろうか」という自問自答が静かに広がっている。俺が「作った方がよかった映画だ」と述べるのは、この意味である。
この映画のメッセージをどう捉えてどう活かしていくかは、むしろ「これからの問題」だと考える次第である。
多くの方々に、ぜひ、観て頂きたい映画だ。強く推す。
初出2023年9月7日Facebook