弁護士費用と「カンパ」
1 カンパ裁判の問題点
弁護士費用をカンパ(クラファンでも同じ)に無闇に頼る風潮は、とても問題だ。 最大の問題は、弁護士業務による受益者と出捐者が一致しない点だ。 弁護士は依頼者の利益を守るのがその使命。ところが、カンパに頼ると弁護士は依頼者とともに出資者の顔色を見ざる得なくなり、弁護士倫理と矛盾する。
裁判当事者にカンパする人間は、単に裁判の当事者を守りたいからカンパするとは限らない。むしろ、ある裁判の結果で自分の支持する意見や考え方を世間に認めさせたいという人が多いだろう。 裁判途中で依頼者の方針が変わり、和解するとか取り下げる場合、カンパした人間の意向に反する場合はないか。
裁判費用についてカンパに頼ると、特に原告の場合、裁判にかける弁護士のモチベーションも下がるリスクもある。 原告の弁護士は裁判に勝ってそこから報酬をもらうのが楽しみで頑張るのだ。カンパからお金を貰うなら、裁判結果の重要性は相対的に低下するだろう。 これは依頼人から見たリスクだ。
被告の場合でも見てもリスクがある。 私が経験した事案。被告側でカンパでお金を受け取って受任した弁護士が期日に一度も来なかった事例があった。 もし依頼人から着手金を受け取っていれば「返せ」となるだろう。カンパからお金を受け取った弁護士は依頼者に対して無責任になるリスクがあるのだ。
2 カンパ裁判はいかなる場合に許されるのか。
俺はカンパなりクラファンで裁判をすることを全て否定するつもりはない(俺もそういう事例が全然ないわけではない)。 たとえば、「マーシャル」という映画では、後の最高裁判事サーグッド・マーシャルが冤罪事件を引き受けるのだが、この資金は、全国黒人向上協会(NAACP)が出している。つまり寄付だ。
その場合、無実を訴えた被告人は、最後まで検察との取引に応じないことが求められる。これは正義のための闘いであり、そのための寄付であるから、妥協が許されないからだ。
つまり、カンパなりクラファンなりで裁判をやるということは、それなりに公益性があり、最後まで「義」を貫くことが求められるということだ。したがって、「カンパ裁判」が許される場合とは、高い公益性がある事案で、かつ、依頼人が最後まで高い意識を持って「義」を貫く覚悟ができている場合に限られるということができるであろう。
初出 2022年7月16日Twitter 2の部分は今回加筆を加えている。