書評「なぜ市民は座り込むのか」(安田浩一)
尊敬する安田浩一さんの最新著「なぜ市民は座り込むのか」読了。日本社会の、底の抜けたような堕落・腐敗に対して、腹の底からの怒りを安田さんと共有する。
本書のタイトルは上記のとおりだが、一冊を貫くテーマは少し違う。
真のテーマは「笑うな」である。
踏みつけられた者の怒りを笑うな。出自や属性やルーツを笑うな。言葉を笑うな。辛苦に満ちた記憶を笑うな。
沖縄は日本史上一貫して「差別」に晒されてきた。それだけでなく、本土に踏みつけられ、捨て石にされ、家を焼かれ、土地を奪われ、命を奪われてきた。
現代型差別は、〝笑い〟を伴っている。人を見下し、蔑み、卑しめる〝笑い〟だ。〝笑い〟は人の尊厳を根こそぎ奪い取る。だから、安田さんは叱る。「笑うな」と。
いつから「笑い」は人の尊厳を傷つける下劣な行為になったのか。本来「笑い」は日々の疲れを癒し、友人との友情を育み、子どもを愛しむためのものだった。俺は安田さんと共に2013年新大久保の路上にいた。そう、あの時見たのは、死んだ魚の目をした顔にぶる下がった、口元だけだらしなく開けた、引き攣った〝笑い〟。差別の〝笑い〟だった。
差別の〝笑い〟が日本社会に充満している。それが本土の犠牲となった沖縄に向けられる時、それは醜悪を通り越して腐臭を伴った毒ガスになる。差別の〝笑い〟はデマを伴う。沖縄はデマを伴った嘲笑を一身に受け続けている。
俺が本書で最も呆れたデマは、米軍機の部品が幼稚園に落ちてきた被害の件。本土の人間たちは、それがなんと沖縄市民の自作自演だというのだ。命に関わる事件ですらデマで覆い隠してしまう。ここまで来ると、怒りを通り越して、もう空いた口が塞がらない。本土人はいったい何を食ってどんな生活をしたら、ここまで下卑た根性になれるのか。
安田さんがこれでもかこれでもかと暴いてみせた本土の人間たちの魂の醜悪さ。しかし、気づいてみれば我々の社会の日常の風景だ。正面から向き合い、拳をあげ、怒りをあらわにするしか、我々に手段は残されていない。
だから、差別の〝笑い〟に、全身から怒ろう。叱ろう。怒りを周囲に伝え、少しでも怒りを共有していこう。
本書から俺が受け取った呼びかけは、それだ。
初出 2023年8月1日Facebook