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反差別運動の真の敵

DD論者にお願いしたい。

ヘイト問題で一番面倒だったのは実は在特会ではない。「在特会もしばき隊もどっちもどっち」として中立を装いつつ、実際はカウンター批判ばかりする人(DD論者)だ。この傾向はいろんな案件で見られる。

DD論者にお願いしたい。せめて、建前通り両方を等しく批判して欲しい。左派だけ批判せずに。

DD論者の姿

DD論者は知識層に多い。ネトウヨになるほど馬鹿ではないが、カウンターをやる程純真ではない。

知識があって品位は重んじるが、良心はなく、正義や公正は信じない。社会改良を鼻で笑い、冷笑を浮かべ、時に足をすくう。

彼らの好きな文句は「正義は人の数だけある」

だから、自分はなにもしない。

社会の公正のために自分がなにもしないだけではなく、公正や正義のために闘う人を嘲笑い、中傷し、時に激しく批判する。

彼らによれば「在特会には在特会の、カウンターにはカウンターの、それぞれの正義があるのだから、そこに優劣はない」。したがって、正義を追求すること、それ自体が忌避される。

なぜ左派ばかり叩くのか。

この種のDD論者は、なぜ右派ではなく左派ばかり批判するのか?3つの理由が考えられる。

1つには彼等の心情は保守であり、内心は右派に近いということ。

2つ目は、左派には知識層が多く、同じく知識層である彼等にとってそちらを攻撃する方が面白いということ。


3つ目、より根本的なことだが、左派の掲げる正義や公正の理念こそ、彼等が最も嫌うものであること。

彼等によれば、正義や公正の理念を掲げることは、ポルポトやスターリンを支持することと同義であり、それだけで全体主義者である証拠なのだ。

彼等にとって正義や公正こそ社会を脅かす敵である。

諸外国のリーダーたち

諸外国のリーダーの演説や書いたものをみよう。例えば、キング牧師の有名な(したがって日本人も大好きな)「私には夢がある」演説には、正義や公正という言葉が頻出する。

当たり前だ。差別され抑圧され、反撃の武力を持たない黒人たちが、「正義と公正」以外になにを武器にするというのか。

正義を嫌悪する日本のDD論者が、キング牧師と対極の位置にいることは明らかである。DD論者は差別され抑圧された人々の存在を無視し、社会改良への希望を摘み取り、現状維持を目指す。

我々は、極右や差別主義者に対峙すると同時に、DD論者とも対峙していかなければならない。

「バーミングハムからの手紙」

実は、かのキング牧師も、我々と同じく、DD論者に手を焼いていたのだ。
「黒人の自由への歩みを阻む大きな障害はKKKではなく白人穏健派の人々だと結論したい程です(中略)善意の人々が寄せる上滑りな理解は、悪意の人々が持つ絶対的な誤解よりもっと面倒です」(「バーミングハムからの手紙」)

「バーミングハムからの手紙」(「バーミングハムの獄中から疑問に答える」として「なぜ黒人は待てないか」に所蔵)は、キングがバーミングハムでの無許可デモで拘留されている間、白人穏健派からの批判に答えたものだ。

獄中で小さな紙に書いたものを接見した弁護士が受け取った。非常に迫力がある

バーミングハムでの無許可デモに対して白人穏健派は法と秩序を乱すものだとして批判した(今日の視点でみれば許可されないことがおかしいのだが)。

キングは正しい法と悪法とを区別し、悪法に従ってはならない旨を説いたのだ。

今日日本のカウンターの直面する問題になんと重なることであろうか。

初出2019年5月9日Twitter

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