ヘイトスピーチ規制の法理
私はかねてから「ヘイトスピーチは個人のアイデンティティに対する権利の侵害」だと主張してきた(拙著「ヘイトスピーチに抗する人々」新日本出版社2014年、120頁以下)。 例えば、在日コリアンはヘイトに晒されるのを避けるために人目を避け民族名等自己のアイデンティティを秘して生活しなければならない。これは個人が「自分らしく生きる権利」を行使することを妨げる。
この点、横浜地裁川崎支部2016年仮処分決定(平成28年(ヨ)第42号ヘイトデモ禁止仮処分命令申立事件)は「本邦外出身者が抱く自らの民族や出身国・地域に係る感情,心情や信念は,それらの者の人格形成の礎を成し,個人の尊厳の最も根源的なものとなるのであって,本邦における他の者もこれを違法に侵害してはならず,相互にこれを尊重すべきものである」と述べている。
憲法学特に13条研究の大家である佐藤幸治教授が「そうした行為(少数者集団に対する差別的行為や差別的表現行為)が特に問題なのは、自己の生にとって重要な要素である集団的アイデンティフィケーションの誇りを傷つけるからです。『自己決定権』のために人間の集団性に対する一定の配慮や社会的・制度的諸条件ないし諸前提を考えなければならないことの一例証でしょう」(「日本国憲法と『法の支配』有斐閣2002年、142頁」と述べているのも同趣旨だろう。
このように、ヘイトスピーチがマイノリティー個々人の人権を侵害するものであると理解すれば、危害原則(文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権力を行使しうる唯一の目的は、他者にたいする危害の防止である」(j.sミル)。)を厳守する立場にたっても、ヘイトスピーチを法規制し、刑罰を科すことには、法的になんの問題もない。 分からない人は、まず被害の実態に向き合うべきだ。
ヘイトスピーチそのものが他者の人権を侵害するものであるとすれば、川崎市の差別禁止条例はむしろ穏当過ぎるだろう。そうであっても、私はこれを大切な一歩として支持しようと思う。 川崎市の条例が全国に広がり、ヘイト団体の行く場所がなくなることを切に願う。
初出 2019年6月25日Facebook