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弁護士倫理の射程

若い弁護士で、時々、刑事弁護士の倫理を民事事件にまで一般化しようとする者がいるが誤りだ。

むしろ刑事弁護の倫理は国家との対決が迫られるという特殊な状況下で求められるものであり、それ以外の状況下では、弁護士は一般市民と同じか、より厳しい倫理的義務を負うと解すべきである。

とりわけ「どんな悪い奴でも弁護するのが弁護士である」という倫理が適用可能なのは刑事弁護のみである。

刑事弁護で被告人の情状を主張したり、無罪を主張したりするのは、問題となっている「悪いこと」を正当化することにはならない。

他方、民事事件で「悪い奴」を弁護(代理)するのは事情が異なる。

民事事件で、悪徳な高利貸し、労基法を守らない企業、公害を流す企業を弁護すれば、弁護士は「企業悪」に加担することになる。

レイシストの代理人として活動する弁護士はレイシズムに加担することになる。

ここでは「悪いこと」そのものに手を貸すのだから、刑事弁護とは事情が異なるのだ。

この俺も、殺人事件の弁護を何件も担当している。やむをやまれぬ動機だったり、精神疾患を患ったりしていた。これを弁護するのは殺人そのものを正当化することにはならない。

他方、民事事件でレイシストの代理をし、いわんや原告代理人として反差別側に訴訟を仕掛けてくる弁護士は、レイシズムを正当化しているのだ。

「どんな悪い奴でも弁護するのが弁護士」というロジックは、時として、悪徳弁護士の隠れ蓑になり得る。

仮に悪徳な高利貸しから依頼があれば、断る自由が弁護士にはある。レイシストから依頼があれば断る自由がある。借金に苦しむ民衆の側に立つ自由がある。レイシストの攻撃とレイシズムの蔓延を恐るマイノリティの側に立つ自由がある。

その自由を行使しなかった責任を隠蔽するロジックに、刑事弁護の倫理が用いられてはならない。

初出 Twitter 2021年5月30日

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