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差別の被害者集団をどのように呼称すべきか。

差別問題で、最も重要かつセンシティブな問題は、差別を受けた被害者集団をどのように呼称すべきかという問題です。

アメリカ黒人の呼称として、かつて「ニグロ」が使用されました。マーティン・ルーサー・キング牧師の有名な「私には夢がある」演説では、「ニグロ」という呼称が使用されています。当時、黒人に対する蔑称は「ニガー」と「ブラック」であり、「ニグロ」や「カラード」が比較的マシな呼称として使用されていました。

ところが、その後、「ブラックパワー運動」の興隆などの影響で、「ブラック」は肯定的な自称として使用されることが始まり、ニグロはかえって消極的な意味になってしまいました。更に先鋭的な人々は自分たちは米国ではなくアフリカ出身であることを強調する意味で「アフリカン・アメリカン」を自称するようになるのです(私は英語のニュアンスがわからないので、英語のニュアンスがわかる方、訂正があればお願いします)。

日本のマイノリティはどうでしょうか?
かつて日本で在日コリアンの呼称として「在日」「ザイチニ」が使用されていました。これは「日本に在る」というだけの意味ですから、明らかに間違った用法で蔑称の一つと言えるかもしれません(もっと酷い蔑称が沢山ありますがここには書きません)。
「在日韓国人」は韓国籍を取得していない方を排除することになりますのでこれも間違いです。「在日朝鮮人」は、それが民族を示す語であるとすれば比較的正しいとも言えますが、戦前の植民地支配との連続性を感じる点が気になります。
「在日朝鮮・韓国人」は割に無難かもしれませんが、民族性と国籍を並べて表記しているのが気になりますし、朝鮮半島の分断を刻印した表記のようにも感じます。

そこで私は「在日コリアン弁護士協会」の表記に従い、「在日コリアン」を使用しています。これなら、国籍を問わず朝鮮半島にルーツを持つ全ての人々を包摂する表記として使えるからです(私に誤解が有ればご指摘ください)。


LGBTについてはもっと複雑だということは私が述べるまでもありません。

私の子どもの頃は、ゲイを指す語として「オカマ」が使用されていました。LGBTという語が日本に入ってきたのは90年代とのことですが、私がこの語を実際に知ったのは2000年に入ってからでした。

ところが、近時、LGBTでは包摂しきれない人々があることがわかり、さらにLGBTQなる語が使用されています。Qの一部にあたる「クイア」はかつて蔑称であったものが当事者から積極的な意味を持つ語として使用されているのが注目されます(なお、Qは同時にquestionの意味があるようです)。このあたりの私の知識はやや怪しいので間違いがあれば訂正してください。

いずれにせよ、以上の様々な歴史から学ぶべきことは、差別を受けた被害者集団をどのように呼称するかは、とても重要で、かつセンシティブであるということです。

それは、社会の認識とともに、当事者の意識が反映しています。

「在日韓国人」や「LGBT」のように本来包摂すべき人を包摂してなかったりすることもあり、日々訂正・改訂がされています。古い語を無闇に使うと当事者の分断を招くことがあり、注意が必要です。また、ブラックやクイアのように、かつての蔑称が当事者から積極的意味で使用されることがあり、ニグロのようにその逆もあるので、とても注意が必要です。


そこで、比較的無難な方法は、まず差別被害者の側が自分たちをどう呼んでいるか、呼ばれたいと考えているかを参照することです。その上で言葉の持つ意味や背景、その裏にある歴史等を学んでいく以外にないように思います。

このように考えていく場合、たとえば、「自認女性」「身体男性」という表現については、以下の観点からの検討が不可欠だと思います。

①その語を当事者は望んでいるか

②その後の使用は包摂すべき全ての当事者を包摂するか、それとも当事者の分断を招くものか

③その語はLGBT Qという運動の歴史との関係でいかなる位置付けになるのか。

初出 2021年8月31日 青法協メーリングリスト

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