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書評「ウトロ ここで生き、ここで死ぬ」(中村一成著 三一書房)

1 本書の特徴

一体、何人の人の証言を聞いたのだろう。一つ一つがずしりと重い証言。職業柄、高齢者からの聞き取りの苦労が痛いほど分かる。公的な記録も整わない時代の出来事。だからこそ、民衆の声を一つ一つ集めて残しておく必要がある。民衆の証言を集めることそれ自体が権力への抗いといえるだろう。

本書は、権力に抗った民衆の貴重な声を拾い集めて後世に伝える、大変な労作だ。

2 ウトロとは何か

まず圧倒されるのが日本植民地主義による嵐のような暴力の数々。韓国併合(1910年)で祖国を失い土地を失った朝鮮の人々は、職を求めて宗主国日本に渡った。各地を転々としていた彼らは、過酷な「労務動員」を逃れて、よりマシな京都飛行場建設工事現場に集まった。日中戦争が激しくなった1939年、空軍力増強のため、国と京都府、そして国策会社「日本国際航空(日国)」が始めた事業だ。集まった朝鮮人はおよそ1300人。六畳と土間しかない廃材と杉皮の小屋に押し込まれ、人力で山野を切り開く辛い労働に酷使される。

 日本の敗戦は、彼らにとって、解放であると同時に、失業と貧困を意味した。植民地主義の犠牲になった朝鮮の人々はなんの謝罪も補償も受けることなく放り出される。仕事を失った彼らは、隣町の米軍演習場に忍び込み薬莢や鉄くずを拾って生活を立てる。バラックの家の屋根は藁葺き、トイレも10戸に一つの共同。台風で屋根は吹き飛び、少しの雨でも大小便が道に溢れる。人々は、残飯を拾って腐ってないものを選り分けて食べたり、日本の農民が引き抜いて放置した大根を拾って食べたりして生き延びた。

ここで一つの奇跡が起きる。

集落に流れ着いた一人の男が子どもたちに向かって言った。「君たちは自分の言葉も知らん人間になりたいんか?」

彼は、朝鮮の文字を地面に書いて子どもに見せる。「朝鮮の字は世界中どんな言葉でも表すことできるんだぞ」

子どもたちは地面に並んだ文字を覚えた。子どもたちにとって朝鮮語は、「誇り」の発見だった。子どもたちは民族の言葉を掴み、乾いた砂のように吸収していく。最低の貧困生活の中に、子どもたちの目の輝きがあった。

民族の言葉を取り戻そうという運動は、やがて最初の民族学校創設の動きに繋がっていく。言葉は民族の誇りであると同時に、人間の尊厳に直結していた。

民族の言葉を奪い返すことは、人間性を取り戻すことであった。

3 更なる理不尽と暴力~日本のアパルトヘイト

ここで、再び権力による暴力が始まる。1948年、占領軍と日本政府は民族学校を「共産主義者の巣」と断じて根絶やしにすることを決断、学校の閉鎖と民族団体の解散、財産没収、関係者の公職追放を強行する。大阪では抵抗した16歳の少年を警察の水平射撃で射殺する事件まで発生した(阪神教育闘争)。ウトロの民族学校も閉鎖。日本人学校に強制的に編入される。

なんたる理不尽だろう。

それだけではない。戦犯企業であった前記「日国」はトラックやバスを製造する民間会社として復活(その一部がやがて現在の「日産車体」となる)。ウトロ住民はなんの補償もされず、雇用もされず、清算対象の、バラックの並ぶ空き地に放置された。

それだけではない。日本政府はサンフランシスコ条約の発効とあわせて朝鮮の人々から日本国籍を一方的に剥奪。年金その他の社会保障から一方的に切り捨て、選挙からも排除し、入管法による管理・排除の対象とした。

それだけではない。権力の不正に抗する人々に怯えた権力は、ウトロに繰り返し警官隊を差し向け理不尽な弾圧を繰り返した。警官隊は部落を包囲し、罪のない人々に犬をけしかけ、大人数でバラック小屋のドアを叩き破って押し入り、一件一件シラミ潰しに捜索し、「酒の密造」(どぶろく)等の微罪でしょっ引いていくのだ。

私はこの場面を読みながら、映画「遠き夜明け」(リチャード・アッテンボロー監督)の一場面を思い出した。そう、冒頭のワンシーン。白人警官たちが黒人スラムを襲撃し、黒人を襲うシーンだ。

まさに、そのもの。これは日本にもあった、アパルトヘイト(人種隔離政策)なのだ。

4 土地問題の始まり

他方、1970年代の日立就職差別裁判に始まる反差別闘争は、「日本の公民権運動」というべき「指紋押捺拒否運動」につながり、朝鮮の人々の反差別闘争は、日本の市民社会をも巻き込み、1990年代には戦後補償の問題が提起される等、成果を上げていく。ウトロの住民も重労働に耐え、ようやく瓦屋根の家を建てる者が現れる。

ところが、ウトロを襲った理不尽はさらに続きがある。日国からウトロの土地を引き継いだ日産車体は、「住民代表」と称する怪しげな人物に土地を売却。その人物は、さらにウトロ一帯の土地を地上げ企業である「西日本殖産」に売却してしまうのだ。「西日本殖産」は地上げ屋らしく、ウトロの土地に400戸のマンション建設を発注、住民に無条件の立ち退きを迫る。私には、かつて朝鮮半島で民衆から土地を奪った日本帝国主義の亡霊が、現在に生き返って同じことをしているようにしか見えない。

ウトロの民衆はここで「正義」を掲げて立ち上げる。

「強制退去決死反対」「私たちは屈しない ウトロを守ります」「ウトロの子どもに未来を」「ウトロはふるさと」「私たちはウトロに生き、ウトロに死にます」「あなたたちに正義はありますか」家の前には大きな看板で血の出るような文句が掲げられた。住民たちはデモや抗議活動、座りこみで地上げ屋に対抗していく。

世界からも支援が集まり始める。戦後補償問題としてドイツとの比較を議論する集会が開かれ、ウトロの住民は「被害の歴史だけ教えて加害を教えてこなかった日本政府に怒りを感じます」「(一世たちは)故郷の土地を取り上げられ、やむを得ず日本に来たんです。ウトロの町は故郷と同じなんです」と訴えた。「過去清算」が運動のテーマになった。


5 人間性の回復へ

市民運動の中心を担ったのは女性たちだった。一世の女性たちは初めて重い口を開き、飛行場工事の厳しさや敗戦後のバラックの惨めさ、差別、読み書きができないことの悔しさをマイクを握って語り始めた。語ることそれ自体が彼女たちの人間の尊厳の回復作業だっただろう。

圧巻は、女性たちで結成された、民族楽器を打ち鳴らす「ウトロ農楽隊」のパレードである。民族楽器チャンゴを叩く時、彼女たちはウトロに生きる朝鮮人としての自分を回復するのだった。日産本社前への抗議活動でも民族楽器が打ち鳴らされた。

参加した一世の女性はこう述べた。

「闘い始めて本当によかった。『人間の本質を追い求める人との出会いには、計り知れない感動がある』この言葉の意味を今にして始めて知りました」

ここに、理不尽に立ち向かうことを決意した人々に共通する、人間としての輝きがあるように思う。私たち弁護士にとって、この輝きの場面に立ち会うことこそ、人生で最高の瞬間である。

ウトロの土地問題。裁判所はこの問題を「過去清算」の問題とは捉えず、単なる「土地を巡る法律問題」として解釈し、地上げ屋の主張を一方的に認めた。しかし、ここからがこの話のすごいところである。3分の1と大幅に縮小したものの、民衆は最後までウトロの土地を守ったのだ。

そこからの物語は、是非、みなさんが本書を購入して読んでもらいたい。少しだけ言うとすれば、ウトロを救ったのは彼彼女らの故郷である韓国の市民であり、韓国を訪問したい際に先頭に立ったのは、最初の民族学校で朝鮮語を身につけた1世の一人だったことである。

6 結び

全編濃厚で重い一冊。多くの人々の思いと人生が詰まっているからだ。重い仕事をやり遂げた筆者に心から敬意を評するとともに、本書を全ての人に強く勧めるものであります。

初出2022年6月15日Facebook

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