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安田菜津紀さん「国籍と遺書、兄への手紙」書評

安田菜津紀さん「国籍と遺書、兄への手紙」読了。

ずっしり重いが、最後に爽やか。不思議な読後感です。

「家族」とは?「故郷」とは?と思いを巡らせていた筆者は、父親が残した〝遺書〟(戸籍謄本)をきっかけに、やがて「ルーツ」とは何かを考える〝旅〟に出ます。

筆者の〝ルーツ〟の一つは、韓国・大邱にありました。自己の〝ルーツ〟を探り当てた筆者は、「ルーツ」とは「根」であり、「日頃、土の下に隠れて目に見えないもの」だが、「その根のあり様を探りながら、今を生きる人間として、枝葉を伸ばす方角を見定めようとする」ものだと考えます。

私見によれば、ルーツとはアイデンティティの中核をなす部分であり、家族であり、故郷であり、その人そのものでしょう。自分はなぜ今ここにいるのか、そして、自分は今どこに向かっているのか。それは自己のルーツを知らなければ考えることができないのだから。筆者の言葉を借りればそれは「命の源流」なのです。

「ルーツ」を知ることは傷を伴います。父親をなぜ助けられなかったのか、否、自分の子どもの頃の発言にも責任の一端がなかったのだろうか。本書を最後まで読めば、筆者の旅の始まりは父に対する筆者の自責であることがわかります。本書の描く“旅”は、過去と向き合い、過去に赦しを求め、やがて過去とともに積極的に生きることを選択する旅でした。自己の「ルーツ」と向き合うことは自分にとって単なる癒やしではなく、自己の責任と向き合うことでもあります。

筆者の旅は「アナと雪の女王2」のアナとエルサの旅に重なります。姉妹は自分達の母方のルーツが、父方のアレンデール共和国が殺害した先住民族ノーサルドラ(サーミ族がモデル)にあることを知ります。そして、姉妹は先住民族殺害を隠蔽してきた自国の歴史修正主義と訣別し、真の社会正義と民族間の宥和を求める選択をするのです。物語の最後で、アナは「国と国、人と人とは愛で結ばれる」と述べています。

筆者は、故郷は自分の「血」とかかわる場所ではないと述べています。家族は「血縁」ではないとも述べています。ここも慧眼です。家族や故郷を「血(血縁)」に見出す思想は、「血と土」というナチズムやナショナリズムから、容易に排外主義に結びつきます。私も、筆者とともに、「故郷」とは「大切な人が生きている場所、生きてきた場所なのだ」と定義したいと考えます。それは「アナ雪2」のアナが最後に述べたように、それは、人と人、国と国が、血や民族や土地、まして国籍などではなく、信頼と友情と愛によって結ばれるとの社会観、社会認識の到達点でしょう。

筆者は〝旅〟の中で歴史が「女性の顔をしていない」ことに気づきます。そして、「私が今すべきことは、脚光を浴びてきた歴史の『編みなおし』ではなく、なかったことにされてきた名もない女性たちの生きた証を、後世に手渡していくことではないだろうか。」との認識に達します。

少児的な自愛主義が吐き出す醜悪な歴史“修正”主義本の濁流の中において、真に求められる歴史修正とは、歴史から消された者たちの声に耳を傾けること。それは、女性であり、在日コリアンであり、アイヌ、性的マイノリティ、障がい者、その他差別され、しかし力強く生きてきた人々の歴史を紡ぐことであるでしょう。

本書、名作です。「ウトロここで生き、ここで死ぬ」(中村一成)以来の収穫。

万人にお勧めします。

初出2023年5月27日Facebook

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