鹿児島〜パート3〜  城山ホテルでの日々・脳腫瘍発覚

お世話になっていたクリニックが再開する日程に合わせ再び鹿児島へ。
今回は城山ホテルの1カ月滞在プランでバリアフリーの部屋をとり滞在。
自分は最初の送る係で次の日ぐらいに息子さん(大学生)が合流し、自分は福岡へ

8月の終わりぐらいまでは、大学が夏休みで息子さんがいてくれることとなり、自分は以前みたいに通いでのクリニックへの通院は難しいと考え8月末に仕事を辞める旨を伝え鹿児島に行く前に引き継ぎやらなんやらを終わらせ、最終日も挨拶はそこそこに鹿児島へ職場からそのまま向かいました。

仕事をしながらも毎週末は城山ホテルに行っていましたので、着いてからは息子さんを休ませる意味で別なホテルをとり、そこで泊まって次の日、大学の授業も始まるから帰るとのことでした。後で聞いた話ですが、息子さんはこの時にある程度気持ちの整理はついていて帰っていったそうでした。

到着したその日ちょっと久しぶりだったこともあり、仕事を辞めてきた話とか、息子さんとどんな風に過ごしてたの〜?とか、治療の進捗状況とか色々話してて放射線治療も半分以上終わっていて、もうちょっとで福岡に帰れるって段階だったんですが、話の中で脳にも腫瘍が転移していて、それもγナイフの手術で取り除かないといけない聞き、本人は障害が残ったら今みたいに色々喋ったり、考えたりが難しくなるかもしれないからと、遺言でも残すかのように仕事の話や、子供たちの事、残していってしまう俺のことなどを話し始め、病気が発覚してから初めて2人で抱きしめあって泣きました。

自分は「生きるんやろう??一緒にできる限りのことはやるし、一緒にいるから頑張ろう」と声をかけながら泣きじゃくっっていたことを思い出します。

結局脳に障害が残ったかというとそんな事はなく、クリニックの先生曰く、うちの治療はピンポイント照射だから頭部・脳への照射でも、できるだけ障害が残らないようにしてるから大丈夫よとのことで、そこは本人も自分もほっとしたのを覚えています。

少し話は逸れますが、城山ホテルでの日々をつらつらと、、、。
毎朝ルームサービスで朝食を運んでもらい、食べれるぶんは彼女さんが食べて、残りは昼にだったり自分が食べたりしてました。
洗濯や買い物などがあるので午前中はシャトルバスで街におりて、彼女さんが食べたいものや、定期的に飲んでた人参ジュースの為の買い出しや、いちじくだったり、食べたいかなあて物を買って、洗濯物を回収して
帰ってきてから一緒にお昼食べてから、マッサージしたり、自然療法をしたり、話したり、体を拭いたり、車椅子で散歩をしたり、夜はお風呂に一緒に入って、夜ご飯は酵素玄米と味噌汁(インスタント)だったりで、そんな風に過ごしていました。
城山ホテルにいる時に放射線治療の影響で髪が抜けてきてたので自分がバリカンで坊主にしてあげて、本人は可愛くないし嫌いにならない?と言ってきましたが、そんな気にするとこも全部ひっくるめて可愛いし大好きだよとか思ったし、伝えた気がします。

そんな中でも先の話をしたり、息子さんや、娘ちゃんの話。色々な話をしました。

久しぶりに書くからちょっとずつ覚えてないこともありますが、城山ホテルを出る前に今までルームサービスで頼んでた朝食を会場に行って朝食バイキングしたり、誕生日を城山ホテルで迎えたから朝食バイキングで祝ってもらったりして、日々ちょっとずつでも楽しみがあるように過ごしてました。
まだ1人で鹿児島でクリニックに通っていた時に見つけた好きなパン屋さんのパンや、好きなコーヒーショップのカフェオレや、大好きなコメダ珈琲のテイクアウトだったり下町に降りて、色々買って、なんか楽しみだったり、喜んでもらいたい、少しでも何かしてあげたいと毎日過ごしてたことを覚えてます。

本当に帰るまでホテルの方々も良くしてくれたし、よく行く八百屋さんも挨拶してもらえたりそういうささやかな喜びだったり、彼女の美味しいや、楽しい、そういう反応を見て自分自身もそこに喜びを覚えていたのを思い出せます。

鹿児島での日々も色々おわり
いよいよ福岡に帰る日に
軽自動車の後ろの座席に持ち込んでいたマットレスを敷いて、帰り道3時間強きつかったとは思いますが、一旦自宅に帰り、そのまま1日自宅で過ごして、以前お世話になった緩和ケア病棟がある病院に自宅の環境が整うまでお世話になることに、、、。
続く。

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