真実は星の数ほど
近くの公園は朝の6時ごろから人が集まり始めて、体操をしている。
ざっとみて40ほどの人が、列を組んで並んでたり遠巻きに立っていたりしながらラジオ体操をする。
映画の「メガネ」だったか「かもめ食堂」か、そんな既視感のある光景で、個人的に好き。
「あー朝だ」と思いながらベットの中でうなだれたり、起き上がって慌ただしく支度したり、そんな世俗から切り離された空間だからかもしれない。
昨日見た映画は、世俗というより時空から切り離された世界に閉じ込められた人たちが主人公だった。
映画のタイトルになっている
『パーム・スプリングス』はカルフォルニアにある砂漠のオアシスと言われるリゾート地らしい。
たしかにカラカラの砂漠地帯に、プールがあるようなリゾート施設が舞台になっていた。どれくらいの暑さなんだろう。1日砂漠の中で洞窟を探し続けた女の腕が真っ赤になっていたから、日差しはすごく強そうだ。でも、リゾート地だから夏でも過ごしやすい気候なのだろうか。
行ってみたい観光地の一つに仲間入りした。
そんなリゾート地で、妹の結婚式に参加した女がひょんなことからタイムループの輪に入ってしまい、結婚式当日の11月9日が永遠に繰り返されるという話。
女が巻き込まれる原因となった男はもうすでにタイムループを繰り返し続けていて…という展開だ。
自分が気付いていないだけで知っている人はいる。
そういうことって沢山あると思った。
人は
分かってたり、知ってたりしていても伝えない
ということがある。
なぜなのか。
その理由のうちの一つに
「言ったところで(自分に)良いことがない。言う必要のないことだから言わない。」
ということが考えられる。
あとは、
「言うまでもないことだと(自分は)思っている。取るに足らないことだから言わない。」
ということもあると思う。
だから
「私が知らないだけで、事実はこうだった。」
みたいなことは大いにして起こりうる。
事実が明らかになると
「なんで言ってくれたかったのー!」
「早く教えてよー!」という感情が沸き起こる。
でも、冷静に考えてみる。
「あの時にその事実を聞いたとして、私は信じることができたのか?」
答えはノーだ。
結局、聞こうと聞かまいと
「それが事実だった。」と
受け止められるマインドがなければ意味がない。
それがなければ “ すべてが無意味 " なわけだ。
それぞれの真実がある。
どれだけの真実に気付けるかは
自分の考え方と見方次第。
見つけるのはいつも自分だ。