家族。
春の強い風が吹く。桜も散った。空は夏に向かって高く青く、雲は白く早く千切れ流れていく。
女性化しようと決意し、それから女性ホルモンを投与し二年が経つ。明確な勝算があったわけではない。むしろ諦め半分、それでも諦められなかったからリスクを取った。
自分が女だと信じて疑わなかった。そんな世の中のトランス像に当てはまるような感情もなかった。
ただ、自分のやりたい些細なことや本当に望むことは女性性にしか基本的に認められていなかった。
メイクをし、髪を伸ばし、パンプスを履き、のびのびと自由に暮らしたかった。恋人の有無や自分の子供を望むという気持ちは己の幸せの次に望めるものだと思っていた。
恋人や将来自分が描く家族像なんて立派なものは考えないようにした。
自分が女性化してきちんと生きていけるのだろうか?その可能性はどれくらいあるのだろうか?諦めが取り返しのつかない後悔となって数十年後に襲ってくる。その時こそ辛いことはないのではないか?
そんなことしか考えられなかった。
もう数十年も前のこと。基本的に色々な事はすぐに忘れてしまうわたしだけれど。忘れられない夜がある。
「俺はこういう生き方やこういう人を認められない。」父が神妙な顔でTVを見ながらわたしに告げた。
ニューハーフさんがたくさん映る番組だった。わたしは十代だった。
その頃のわたしは一ヶ月で稼ぐアルバイト代を全て洋服に変えていた。フェミニンな男性ファッションが流行っていたこともありヒステリックグラマーやヴィヴィアンウエストウッドなどちょっと個性的でジェンダーレスなファッションをしていた。
よく女の子に間違えられていた。同じ学校の女子生徒がわたしに似合いそうとマスカラなどのお化粧品をくれた。わたしはクラスでも目立つちょっと悪そうなグループに居たけれど、特に差別やイジメを受けることなく自然に中性的な存在として受け入れられていた。
立ち襟の学生服が中学生の時から大嫌いだった。理由は分からなかった。中学生の頃から水泳の授業も全てサボった。どうしても競泳用の水着を着てプールに入りたくなかった。その時はちょっと肥満体型だったから、そんな身体を晒したくなかった。そう思っていた。
だから父の唐突な発言がピンとこなかった。わたしはニューハーフになろうなんてその日まで一度も考えたことがなかった。
きっと高校時代のわたしを見て将来この子はおかまになるんだろうな。と思っていた人は少なくないのだろう。きっと父もそういう危険性を感じていたのだろう。
そういう未来に一番無頓着だったのはわたしだ。
女の子に間違えられるという事柄についてはとても嬉しかった。何が嬉しかったのか、何故嬉しかったのか?そんなことは考えたことがなかった。
今振り返ると何故、気がつかなかったのだろうと思う。自分は女だという自覚は全く持って無かったけれど、女になりたかったのだ。
わたしは女性化して徐々に手応えを掴んでいる。この感じなら戸籍変更して女性として社会に紛れ込むことが可能なのではないか?うっすらそう思えるくらいにはなった。
仮にそこまで求めなくても、ニューハーフとしてのプライドを持って生きて行くことは可能だと実感出来るようになった。
そうなると次は性別適合手術のことを考え始める。
きっと家族もうっすらと長男は何かおかしい。と気がついているだろう。
今まではその違和感を確かめることも、その違和感を家族に伝える事も無く誰もが先延ばしにしてきた。
これから先はそうはいかない。少なくともわたしは家族に内緒で性別適合手術をしたり大掛かりな整形をしたり、名前を変えたり戸籍を変えたり出来るほど親不孝ではない。
すでに親不孝している自覚はあるので、それは自己のナルシズムやカタルシスを家族に向けているだけなのでは?とも思わない。
只々、わたしはあの家族が好きなんだ。
親不孝をしていてもそれでも愛して欲しい。愛していたい。エゴだ。誰かが折れなければならないなら誰かに折れてもらいたい。わたしはこの気持ちを手放したくない。気持ちだけではなく家族を手放したくないんだ。
悲しい顔を見たくない。ガッカリされたくない。心配させたくない。そういった気持ちでカミングアウトする事が出来ず、実家に帰る頻度も減った。
でも…
もうそろそろケリをつけたい。
夕方のTVのドキュメンタリーにも度々レズビアンカップルとして映っている。実家が取っている新聞にもカラーで写真が載った。どこかでそれを見て連絡が来ないかな…という都合の良い事を考えていた。
わたしは両親の悲しむ顔を見たくない気持ちと自分の人生の舵を手放したくない気持ち、どちらも譲れない。
どちらかしか手に入らない事がある。どちらも手に入らない事もある。
明日は母の誕生日だ。
おかーさん。お誕生日おめでとう。
お母さん。
お母さん。
おかあさん。
呟くと涙が出る。