見出し画像

2011年5月8日、母の日 岩手県山田町の仮設花屋のカーネーション

今日は母の日。2011年5月8日。11年前の岩手県山田町。

東日本大震災から約2ヶ月が経とうとしていたとき、私は岩手県での事業の立ち上げのため、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町を回っていた。

山田病院(だったと思う)の目の前の道を挟んで、津波が来たエリアと来ないエリアがくっきりと見て取れる。

津波の末端の末端でも、すこしでも到達したら全てをさらってしまうのだ。津波の破壊力もそうだが、どんなものも引っ張り込んでいくブラックホールのようなものなのだろう。

そのブラックホールを目の前にした人たちの恐怖は、どれほどのものだったか。

ふと病院の前に緑色の傘が見えた。近くによると花屋のおばさんがカーネーションを売っていたのだ。

真ん中に緑の傘が見える。ここが仮設の花屋となっていた

手書きの看板が立てかけられていた。

そうだ今日は母の日だった。

震災後、まだほとんど手付かずのまち。そんな非日常の中にいながら、急に日常が迫ってきた。

手書きの看板

色と音を感じなくなってしまったこの町に突然現れた赤やピンクの花に、目を奪われてしまった。

仮設花屋で売られていたカーネーション

お店には切花も売られていた。よくよく見ると、カーネーションと共に、菊が売られている。

生きていてくれた喜びに贈る花がある。悲しみと共に死者に手向ける花がある。

生と死が交差するこの光景に、とめどなく涙が流れてやまなかった。

早くこの町に色を取り戻してください。生活ができるようになりますように、と手を合わせ、静かに祈った。

今日は母の日。どんなときでも、母を思う。

生きていてくれていても、亡くなったとしても、あなたはずっと私の大切な人です。

ありがとう。

おもしろかったな、役に立ったなと思われたら投げ銭をいただけると小躍りして喜びます。いただいたサポートは、本を買うお金などに使わせていただきます!