探究的な学びを探究する ー地域社会のみんなで探究を語り合うー
教育長の高橋洋平です。
『内外教育』で掲載されました「第5回 鎌倉教育長日記」を紹介します。(内外教育には許可をいただいています。)
7月13日に鎌倉市教育委員会が主催し、「鎌倉スクールコラボファンド」を活用した探究学習のシンポジウムを開催しました。「ホンネdeトーク」と名付け、実践者や伴走者のワクワク・モヤモヤに迫るパネルディスカッションなどを行いました。
鎌倉スクールコラボファンドとは、寄付を募り、企業・大学や伴走者と一緒に探究的な学びを創っていく仕組みです。本施策は外部資金の活用と社会との連携により、学校や子どもたちに応じた多様な学びを創ろうとする「共助」モデルであり、社会に開かれた教育課程を実装する具体施策であると考えています。
シンポジウムの参加者は教職員だけでなく、寄付者、外部講師、地域の方々、企業、市長、教育委員など多様で、みんなで「探究」について徹底的に語り合い、考えました。懇親会まで盛り上が り、参加者からも「○○したい!」があふれていました。子どもたち、教職員、参加者それぞれが探究者であり、探究の「相似形」となった姿に感銘を受けました。
「問い」に粘り強く向き合う
実践者や伴走者のリアルな話題は、多岐にわたりましたが、一つ挙げるなら課題設定の難しさでしょうか。やりたいことがない、うまく問いを立てられない子はどうすればよいのか、などです。
伴走者である、NPO法人未来をつかむスタディーズ理事長の河内智之さんからは、まずは自分がシンプルに好きなソフトクリームやアニメについて、なぜそれほど好きなのかを問う中で、深まり、課題設定になっていく過程をお話しいただきました。
実践者の教員からも、子どもたちの問いが深まり、抽象化され、現代的課題、地域社会の課題、自分のキャリアに通ずる課題になっていく様子を話していただきました。自分の「好き」と「鎌倉」が掛け算され、自分事として深まっていく(単なる鎌倉の調べ学習じゃない)。好きなサッカーから、玉縄|城址<じょうし>での|蹴鞠<けまり>へ。あるいは、地域の稲作から運動会の創作踊りへ。そして個人と社会のウェルビーイング(身も心も満たされた状態)へ。
自分の課題設定になると、主体的に学びに取り組んでいけるし、非認知能力にも効いてくる。子どもたちの問いが「自分のもの」になった時の爆発力を感じられました。
岩岡寛人前教育長(現文部科学省学校教育官)には生成AI(人工知能)の実演をしていただきました。探究のプロセスである「情報収集、整 理・分析、まとめ」だけなら、AIが一瞬でやってしまえることを痛感するとともに、人間が行う課題設定(AIに指示する問いを立てられるか)の重要さに触れました。
これからの子どもたちが生きていく社会では、何を学びたいのかという意思や、何がしたいのかという願いがより大事になるでしょう。「答え」はすぐに陳腐化するし、他の場所で答えになるとは限らないけれど、「問い」は誰とでも共有でき、深められます。
そう考えると、これからは正解よりも、課題や問いそのもの、学びのプロセスこそが重要になる。子どもたちがこれからの人生で、問いが立てられず受け身で過ごすのではなく、他でもない自らの人生のハンドルを握り、主体的に問いを立てられる流儀を身に付けてほしい。
今回の議論を通じて、探究とは「唯一の正解がない問いに対して粘り強く向き合い続ける流儀を学ぶこと」なのかなと思われました。それは「VUCA」(ブーカ=不確実性が高く、将来の予測が困難な状況)の社会を生きる流儀そのものなのですよね。もちろんこの定義が答えなのではなく、探究の探究はまだまだ続く……。
(2024年8月23日『内外教育』掲載文)