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【学びの多様化学校を創る②】キーワードは「炭火」 ートップらの理念が結実

教育長の高橋洋平です。

『内外教育』の田幡記者が、鎌倉市の「学びの多様化学校」開校に向けた取組について取材し、紙面に取り上げてくださっています。
第2回分について、掲載許可をいただきましたのでnoteで掲載させていただきます。


「僕は、音を立てていないと座っていられないんです」

神奈川県鎌倉市の松尾崇市長を前に、市長応接室の机を指でたたきながら、中学1年生の大真おおまさんが話し始めた。

「でも、教室で音を立てるとみんなに迷惑がかかる。分かっているけどやめられない。やめろと言われてもやめられなくて、教室を飛び出しました。先生は『戻って来い』と引っ張るけど、戻りたくなくて、先生を突き飛ばして逃げました」

共生

母親の由紀さんによると、大真さんは130を超える高い知能指数(IQ)を持つ。学ぶ意欲は強く自由研究などは幾つもこなした。半面、小学4年生のときに自閉スペクトラム症(ASD)の診断を受けた。融通が利かない、物事の整理ができない、匂いに敏感などの特性があり、生きづらさを抱えていた。学校にはなじめなかった。4年生ごろから学校を休みがちになり、不登校になった。中学の3年間はほぼ学校に行っていない。

そんな大真さんを受け入れ、松尾市長に「ぜひ一度見に来てほしい」と要望したのは、東京大学先端科学技術研究センターで行われていた「異才発掘プロジェクトROCKET(ロケット)」だ。学校や社会にはなじめないもののギフテッドなど突き抜けた才能を持つ子どもを発掘し、学びの場を提供していた。

大真さんの話を聞き、関心を持った松尾市長は、東大駒場キャンパスにロケットを見学に行った。全国から集まった子どもたちと一緒に受けた授業は大学の講義のようだった。聞いたことがない難解な工学の専門用語が飛び交っていた。レベルの高いロボットを作っていた。何より、大真さんを含めロケットに来ていた子どもたちは、生き生きとして楽しそうだった。松尾市長が振り返る。

「大真君は自分を責めて悲しくなっている。お母さんも苦労し心を痛めている。なぜそうなるのかを考えると、その子に合った環境を整えることが必要だと思いました。まずは不登校の子たちが安心できる環境、生き生きと元気になれる場をつくりたい」

これが、鎌倉市が2025年4月開校を目指して準備を進めている「学びの多様化学校」(不登校特例校)につながっていく。市長が大真さんと会ったのは9年前、15年のことだ。

松尾市長が目指す市政は「共生社会の共創」だ。16年7月に起きた相模原障害者施設殺傷事件で犯行に及んだ死刑囚は優生思想にとらわれていた。市長は「人はどこかで障害者はかわいそうという偏見があるのではないかという気付きがありました。それが人を傷つける。人を傷つける偏見がない社会をつくりたい」と共生社会の実現を目指す条例を作った。「共生社会の共創」という考え方は、不登校の子どもたちへのまなざしにも通じる。

「多様化学校が分離教育となることは議論がある。ただ、現状として不登校の子の未来の可能性を消さないよう環境を提供する必要はあります。ゆくゆくはすべての学校が多様化学校のようになり、多様化学校が必要なくなるのがいいのかもしれません」

見学後、松尾市長は早速、教育委員会に「何かロケット的なものはできないか」と投げ掛けた。その後、松尾市長に請われて教育長に就任した文部科学省キャリア出身の岩岡寛人前教育長(現文科省学校教育官)が中心になって具体策を検討。鎌倉市の実情に合わせ、異才にこだわらず、広く不登校の子どもたちを受け入れる短期集中の「かまくらULTLA(ウルトラ)プログラム」が21年9月に始まった。

ULTLAは「Uniqueness Liberation Through Learning Optimization and  Assessment(学びの最適化と評価による個性の解放)」の頭文字を取った略語だ。ウルトラのネーミングには、岩岡前教育長の思いが込められている。松尾市長とは別に、岩岡前教育長自身も不登校に対する課題意識を持っていた。

「不登校は、学業不振、友人関係、無気力・不安が理由として挙げられますが、これは原因ではなく現象。子ども自身の生まれ持った性格や身体・脳機能特性と生育環境によって個性的な学び方が生まれているはず」

そう考えた岩岡前教育長は仮設を立てた。
「自分の学習の個性を見つける教育活動が必要です。個性的に学ぶ手だてを考えれば、真の自分につながるのではないか」

岩岡前教育長は、ウルトラの運営を、ロケットで370のプログラムほとんどを企画・運営した福本理恵さん(「SPACE」代表取締役)と協働して取り組んだ。発達神経心理学や進化心理学を学んだ福本さんは、ロケットでの実績があるだけでなく、それぞれの子の関心領域や、視覚優位といった、得意な学び方など認知特性を見極める科学的なアセスメント(事前評価)方法を独自に開発していた。

福島の原子力災害と通底

ウルトラには毎回、小学4年生から中学3年生まで15人前後が参加している。参加者の中学生は「私のトリセツ(取り扱い説明書)が分かった気がします」と話した。ウルトラはまた、何人もの子の学びに向かう力を高めてきた。

中学を卒業した参加者が今度は、支援する側に回るなど、ウルトラは一体感を増しながら、持続可能な形に進化している。一方で、多くの関係者が年3日間ずつ2回の短期集中型のプロジェクトに限界を感じていた。松尾市長が言う。

「年2回では参加者が限られます。鎌倉全体の不登校対策としては時間がかかり過ぎるし、すべての問題を解決できるわけではない。教育委員会とは、ウルトラの成果を市内全部の学校に広げていく必要があると議論していました」

ウルトラが初めて開催されたのは21年秋。同年10月に行われた市長選で、松尾市長は公約に「不登校特例校の設置を視野に準備を進めます」と掲げ4選を果たした。特例校は信任を得た形となり、市教委はウルトラを土台とした特例校設置に向け検討を加速させることになる。

こうした中で、市教委には大きな変化もあった。「現場から教育を変えたい」と、ウルトラを立ち上げ定着させた教委トップの岩岡教育長が23年7月をもって文科省に戻ることになったのだ。「これまでの流れを加速させたい」という市長の意向を受け、岩岡氏がリストアップし、最終的に選ばれたのが現在の高橋洋平教育長だ。

高橋氏も文科省のキャリア出身。同省を退職し、PwCコンサルティングのマネージャーを務めていた。高橋教育長が学校づくりに関わるのは2校目だ。文科官僚だった高橋氏は、11年3月の東日本大震災後に福島県教委に出向し、県立ふたば未来学園中学校・高校(双葉郡広野町)の開設に携わった。

同校は、原子力災害に直面している福島の復興を成し遂げる人材の育成を目指し、設立された。開校当初から探究学習に力を入れているのが特徴だ。その学校づくりに尽力した高橋氏が、今度は鎌倉市で多様化学校の設立に携わることになった。

「原発事故後の双葉には大人たちも解決できない問題が山積していました。解を見いだすことが難しい問いを前にして、傷を負いながらも前を向いて学びながら生きる力を蓄える必要がありました。自立、協働、創造がふたば未来学園のキーコンセプトです。苦しみながらも自ら立ち上がろうとする子どもたちを大人がどう支え励ませるか。鎌倉でつくろうとしている学びの多様化学校も、不登校で苦しさを持った子どもたちを迎えるという意味で通底しています」

協働的な学び

市トップらのこうした思いが詰まった鎌倉市の学びの多様化学校はどんな理念を持つのか。6月19日に松尾市長が招集した総合教育会議での議論がヒントになりそうだ。

25年4月からの次期教育大綱を議論する教委内の会議で指導主事の口から出たキーワードが、その後の鎌倉市が目指す教育の姿を方向付けている。キーワードは「炭火」だ。高橋教育長が炭火の意味を説明する。

「大きくは二つの要素があります。一つは、火鉢の炭は灰をかぶせても次の日使えるほどじわっと燃え続ける。テストがあるからとか親に怒られるからとかという理由で学ぶのではなく、自分の中にあるワクワクを炭火のようにともし続け、生涯にわたって主体的に学び続けるイメージです。もう一つの重要な要素は、内発的な灯をともすため外発的にどう火を付けるか。巧みな仕掛けや環境、高度な専門性が教育関係者に求められます」

これに、松尾市長が江戸時代中期の大名、上杉鷹山の逸話を紹介して議論に加わった。鷹山は、灰の中の残り火を他の炭に移し広げるように藩士一人一人の士気を高めることで、藩政改革を実現した。市長は「一緒になって炭火を燃やし続けることは、生徒同士の関係でもあり得ると感じました」と、炭火のもう一つの特性に触れた。

市教育委員で、毎年ウルトラに学びの場として自らが住職を務める浄智寺を提供している朝比奈惠温さんは「炭火の熱は遠赤外線効果で内部まで伝わるという考え方も付け加えてほしい」と注文した。

会議のメンバーのこうした意見を、高橋教育長が引き取って語った。
「共に生きる、広がりを帯びていくという第3の視点を頂きました。多様性の時代。ややもすると、『あなたと私は違うからもう話さなくていい』『分かり合えないのは仕方ないよね、それも多様性だから』となりがちですが、それでは共生にはなりません。分かり合えなくても対話を諦めない、自らを振り返り、考え続ける姿勢は学校の中で学んでいきたい。それにより鎌倉が目指す共生社会に近づけます」

前回紹介した通り、鎌倉市が学びの多様化学校で目指すのは、「個別最適で協働的な学びにチャレンジする学びの最先端」だ。中でも高橋教育長が重視するのは「共に学ぶこと、協働的な学び」だという。不登校の子どもたちにとっては、より不得手な領域だろう。

「だからこそ」と教育長は続ける。「個別最適化のみにとらわれると、一人で端末相手に授業動画やAIドリルをやればよいとなる。それでは孤立した学び。そこに行けば誰かがいて、共に学ぶことで自分の学びが励まされ、また前に向かえるのが協働であり、炭火のように長く主体的に学んでいくことにもつながる。共生社会を生きていく流儀はこれでいいという実感を持ってもらいたい。それが私の願いです」

中学生だった大真さんは現在21歳。多様化学校は大真さんには間に合わなかったものの、母親の由紀さんは「地域に子どもたちの居場所が増えるのはいいことです」と歓迎する。

大真さんは小さい頃から文字のフォントや書体に強い関心を持ち、街で見た文字の写真を撮り続けていた。今は都内のデザイン専門学校で学んでいる。由紀さんは「好きを続けて結び付いた結果です」と言う。由紀さんによると、大真さんは「周りに助けられてきた」という思いが強く、「だからユニバーサルデザインの道に進み、人を助けたいと思っている」のだという。

大真さんは、市に多様化学校づくりのきっかけを与えるとともに、自ら一歩を踏み出し、市が目指す共生社会づくりに参画し始めた。(田幡秀之=内外教育編集部)

(2024年7月9日『内外教育』掲載文)

※内外教育に許可をいただきnoteに掲載しています