漣の果てに。 第14話
落ち着け、俺。落ち着くんだ、俺。
何度だって落ち着きを失いかねないが、今のこの状況を何とか整理しろ。できるだろ?
この男たちは"誰か"に頼まれて俺を脅迫している。雫に害が及ぶことは、ない。脅迫の内容は、俺に親父を殺せ、というもの。親父を殺さないと俺の命も、ない。そして、親父の死は日本を救う。親父を殺せば俺は生き残れる。脅迫グループの雰囲気は、さほど怖くはない。業界の人、という感じもしない。脅迫の教科書に載っているような手口。乗せられた車種はプリウス。
……しかし、親殺し──。
さらに日本の政治と巨額の金──。
本当か? さすがに非現実的すぎるんじゃないか?
これまでの人生で培った論理的思考と合理性で話を咀嚼してみる。噛めば噛むほど呑みこめない。喉を鳴らしてみても無理だった。
……。
……!!
俺の頭が久しぶりに閃く。この状況を説明する一つの説が、煌びやかに天から降りてきた。
あれだ。
いわゆる、"ドッキリ"じゃないか?
現実とフィクションの境目が曖昧となっている昨今の若者。俺もその一員だ。情報爆発のこの時代、ゲーム&テレビ脳とフィクションに冒された頭をフル回転して沈思黙考する。
結論が出た。
こんな状況はあり得ない──ドッキリだ。
一度思い込んでしまうと、そうとしか思えなくなり、希望的観測に支配される。なんだか懐かしいな、ドッキリ。小学生の頃、よく見たよ。プラカード、どこにあるのかな。
ありのままを受け入れてはいけない。見たこと、聞いたこと、起きたことがすべて本当であるとは限らない。だってそうだろ? 政治家は嘘ばっかり言うし、新聞やテレビも都合のいいように情報を操作する。
疑え、そして行動しろ。
「ドッキリ……ですか?」
よく言った、俺。
中ぐらいのAが、目を丸くして、身を引く。
ほら、やっぱり……と思ったところで、彼は大きなため息をつく。
そして苦笑いを浮かべ、言葉を発する。
「ブハ、ハハハッ。おっと失礼。フフ……ちょっとがっかりですよ。そんな幼稚な結論に達したのですか? 何か考えていらっしゃるので、何をおっしゃるかな、と楽しみにお待ちしていましたが」
屈辱的っ…。
「よほど混乱していると見えます。そんなあなたに一つだけ教えましょう。何と、これは、……ドッキリではありません!」
中ぐらいのBと大きいのが、下を向いて笑いをこらえている。こんな状況でも赤面する。確かにありえない。どうかしているぞ、俺。今のこの状況もあり得ないし、ドッキリも同じくらいあり得ないでしょ。こんな手の込んだドッキリだれがやるんだよ。
受け入れるしかないのか、この状況を──。
だとすると、だとすると……。
不安と絶望を湛えた風呂敷が俺を包もうとしている。
考えろ、考えろ。本当に親父を殺さなくては、俺は死んでしまうのか?
──いやだ、死にたくない。殺したくない。
「あなた方は何者なんですか?」
生き延びたい。
「お答えできませんが、強いて言うなら脅迫グループです」
「この状況を回避する方法はないんですよね?」
雫のもとに帰りたい。
「ありません。あなたが、お父様を殺すことについて首を縦に振ることだけです」
「父を殺さないと、私が死ぬ」
「その通りです」
いやだ、死にたくない。
雫──。
死──。死とは何か。
親父が教えてくれた。
「父さん、死んだら、僕たちはどうなるの?」
「……死とは、無だ。死んだら、無になる」
小学校三年生の俺はそれを聞いて、泣いた。
漫画やアニメはそんなこと教えてくれなかった。
生まれ変わることが出来ないのか、天国はないのか、幽霊になってこの世の中を見ることも出来ないのか、と泣きじゃくりながら親父に詰め寄る。
親父は冷酷に断じる。
「そんなことはない。『死んだら、無になる』」
と、そのフレーズを気に入ったかのように繰り返した。
その晩は、眠れなかった。
無になる、という響きの怖さに俺は耐えられなかった。
何度寝返りを打っても、眠りが訪れない。泣き腫らしたまぶたを閉じる。真っ暗闇の世界がそこに広がる。何もない。
これが──「無」か。何もない。終わり。眠れないから夢も見ない。まぶたの裏にはただ、漆黒の闇があるだけだった。吸い込まれる。闇に吸い込まれる。そして、何もなくなる。目を開け、時計を凝視する。でも時は一向に進む気配を見せない。俺は気が狂いそうになって、叫んだ。咆哮した。
誰も来ない。
一つ屋根の下、聞こえているはずなのに誰も助けに来てはくれなかった。孤独な夜は長く永遠に近い苦しみは続いた。
しかし、止まない雨はなく、明けない夜はない。
苦しみにも必ず終わりが来る。
いつとはなしに鳥がさえずり始め、朝日が昇って、カーテン越しに明りが差し込む。
まぶたを閉じても暗くはなかった。
俺は「希望」を感じた。
この世は「無」ではない。
自分が生きているこの世界はちっとも「無」なんかじゃない。
その喜びに浸った朝、俺は生きていることを初めて実感した。
生きること、その輝きを知ること。
それを逆説的に教えてくれたのは、親父だった。
──親父を殺すことなんて出来ない。
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