漣表紙_page-0001

漣の果てに。 第3話

高校二年時の同級生だった親友、大川佑の結婚式に出席した。附属高校だったため、大学も必然的に同じで長い時間を共に過ごした。授業サボってマックにいたり、高校生なのにカラオケでオールしたり、馬鹿なこともやっていたが、佑は試験前になると猛烈に勉強し、テストの成績はいつも俺より良くてクラスでも上位だった。

俺は文学部、彼は法学部に進んだ。一度「法学部行ってどうするの? 弁護士になるの?(笑)」と冗談半分で聞いてみた。すると「そのつもり」と毅然とした表情で返してきた。こいつ、正気か? と思ったものだ。そして28になった今年、司法試験に合格したという。あのときの彼に土下座して謝りたい。すまない、と。

合格発表を彼女と一緒に見に行き、掲示を確認した直後にプロポーズしたらしい。顔はともかく彼の生き方は本当にカッコいい。高2から付き合っていた彼女とそのままゴールインした。交際期間9年。奇跡の軌跡。

「僕は、器用ではありません。でも、不器用でいいと思っています。時には間違ったことや道を踏み外したこともあります。遠回りをしたこともあります。でも、その道は未来に向かっていました。そして、僕には運があります。今日出席してくれた皆さんに出会えたという運が。みなさんに支えられてこの日を迎えられたことを心から感謝しています」

胸を張って無骨な言葉でスピーチをする彼は、親友の目で厳しく見たとしてもこれまでの人生で一番輝いていただろう。輝きか……。ふと翻る。

「今日」「その時」がいつも一番輝いていられるように。
俺はそんな生き方をしたかったんじゃなかったのか。

When is the moment you shine ?  
よく聞いていた歌に出てきたフレーズだ。これを常に自分に問いかけよう、と決めていたはずだ。
そして、答えは「今」といつも言えるように──。
28になりましたよ。
大学3年生の俺が聞いています。

Are you shinin’ now?

輝き方を忘れてしまった。
あのときの俺に土下座して謝りたい。すまない、と。
それでも時計は進む。未来に向かって時を刻む。
「ドラえもん」は──いない。


吾輩は下戸である。酒が飲めない。どこで眠ったかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめしたところでスーピーと寝ていた事だけは記憶している。吾輩はここではじめて……もう、いいか。

いわゆる接待で、おもてなしをする側として下戸であることは致命的である。嫌いではないのだ。周りの衆がアルコールパワー炸裂で、平素とは異なる姿を垣間見せることも興味深い。酒の席でもまったりと過ごせればいいのだ。まったりと。しかし、盛り上がる宴会の真っ只中で待ったをかけることは全くもって不可能である。畢竟、飲むことになる。

吾輩は下戸である。酒が飲めない。しかれども、這般の事情から本日も酔っ払いなり。

秋の夜長の紺碧の闇は、ネオンの光でいつしかこの世のものとは思えぬまばゆさを放つ。終電の六本木は混雑を極め、タクシー乗り場には長蛇の列。金と人と幸せと。酒と煙草と加齢臭と。日付変更を間際にした六本木特有の匂い。この空気に慣れたらおしまいだと最初は思ったが、残念ながら慣れてしまった。実際、俺自身もその「臭」を発しているのだからどうしようもない。

辛うじて終電に乗り込み、惰性で乗り換えをし、因襲で両手ハンズアップしながらつり革につかまり、一時間二十分の道のりを息も絶え絶え、帰る。

なぜ、帰るんだろう。どこに、帰るんだろう。帰る場所なんてあるのか?

存在しない時間、25時09分に横浜市の自宅がある最寄の駅に到達した。同じ匂いのする朋輩が、電車から雪崩のように降りる。あっという間に、数台いたタクシーも捌け、酔っ払いたちが列を成した。仕方ない、タクシーはあきらめよう。

自宅まで歩くことにする。徒歩25分の距離。いつもなら、鼻歌交じりに煙草を三本喫みながら歩く距離だ。気分は頗るよろしくないが、「上を向いて歩こう」をハミングし、上機嫌ぶってみる。この時間、人はほとんどいないが、コンビニの前を通ったときにすれ違う人は笑いを堪えていた。なぜだ。

一番が終わった。歌詞が頭を回る──泣きながら歩く、一人ぽっちの夜。ひとりぽっちのよる。独りぽっちの……。

世界が速度を速めて回り始めた。上を向こう。でも、下を向いている気がする。それでも上を向いてみた──悲しみは星の影に。悲しみは月の影に。ちくしょう。星も月も見えやしねぇ。気分が急激に悪くなってきた。煙草の煙に巻き込まれるように景色が歪む。一歩が踏み出せない。進んでいるようで、戻っている。戻っているようで、進んでいる。

厳しい。実に厳しい。家路はかくも困難であったか。嗚呼、ソクラテスよ。民主主義を全うすることよりも、酒の飲めないサラリーマンが酔っ払い、歩いて家に帰らんことは余程困難たるぞ。現実と哲学の間には天を摩するほどの建立物あり。今を生きる吾輩から万人に共感される格言を、今ここに。

“「酔っ払いの歩みこそ人生である」杉森直志”

進めば戻り、上を向いたつもりが、下を向く。方向感はない。しかし、酔っ払いながらも一つの方向を本能的に目指す。ただ一つの方向を。
Home, my sweet home. 
これこそ人生なり。

一人、訳の分からないことを考えていると気配を感じ、ふと立ち止まる。
ふらつく足元にチワワの目があった。首輪がない。
夜道、街灯に照らされるチワワの目は無論光沢を帯び、さらに涙を湛えているようにも見えた。

「おぉ、チワワよ。その涙やいかに」
優しく語り掛けてみたが、返事があるわけがない。再び歩を進める。

漸く辿り着いた我が家に、灯りはない。
一人鍵を開け、扉をくぐる。

「ただいま」を言う相手は──いない。

みなさんから「スキ」や「フォロー」をいただけると、「書いてよかったな」「何かを伝えられたんだな」と励みになります。お読みいただき本当にありがとうございます。これからも良い記事や小説を執筆できるよう頑張ります。