【教育】どうして子どもは「勉強しなさい」と言っても勉強しないのか
先日、ある動画で元プロ野球選手のG.G.佐藤さんがめちゃくちゃ良いことを言っていました。
自主性を重んじる教育で人は育つという一例です。
「子どもに勉強しろ」と言っても全然、勉強しないみたいなケースがありますが、それにも通じます。
自ら求めない限り、行動することはない
G.G.佐藤さんは西武で活躍されたイメージが強いですが、その前は、アメリカのフィラデルフィア・フィリーズの1Aでプレーしていました。そのときの経験について語っています。良かったら動画で見てみてください。文字起こしも貼っておきます。
このPart2のリール動画は380万回再生とバズっていますね。キーワードは内発的動機です。
「人をコントロールすることはできない。自ら求めない限り、行動することはない」
結局、人は「やりたい」という気持ちが内面から湧き上がらないとやらないということです。
子どもたちに例えると、いくら親が「勉強やりなさい」と言ったところで、そもそも「やりたくないからやらない」っていう感じですね。ほかにやりたいこといっぱいあるしと。
それくらい人をコントロールするのは難しいのです。
ここからは、私個人の話で恐縮です。
私は中学卒業後、1年くらいは学校に行ってませんでした。
その間、新聞配達しながら図書館(油津のまなびピア)でいろんな本を読んで過ごしてました。本の中の世界はすごくて、「俺って全然知らんことばっかりやなあ」と感動してました。
働こうと思って、ハローワークに行ってみたものの、だいたいの求人が「高卒以上」で、「中卒やとちゃんと働けん。やっぱり学歴も必要なんやな。それに俺には知らないことがたくさんある。まずは基礎的な学力を身に着けるために高校の勉強も必要や」と思いました。
そこでやっと、「頑張って勉強しよう」と切り替えて宮崎市内の高校に通い始めました。
でも、1年のブランクがあったのがきつかったです。中学時代は結構、成績もよかったんですけど、そのころ積み上げた学力もほぼ1年で消滅してて。分数の足し算のやり方も忘れてたんです笑。
「ほかの人より努力しないと挽回できないな。一生懸命勉強しよう」って固く心に誓いました。
自分で言うのはなんですけどその後は結構、勉強してました。学校ではもちろんのこと、通学中もほぼ勉強してました。
朝は5時50分に家を出て、日南線に乗って、夜は11時くらいに帰ってくるみたいな生活でした。
多分、中学までの過程で、大人には「勉強大事やぞ」「学校にはちゃんと行きなさい」とか言われてるんですけど、全然頭に入ってないんですよね。だから、紆余曲折を経て社会の現実にぶつかって、ようやく「勉強したい」と自分の中の内発的動機が芽生えたわけです。
私の場合は結構、ひどいパターンだと思います。普通の子はもっと素直だと思うので笑。でも結局、自分の体験の中でしか自分のやりたいことが見つからないってのは確かだと思います。
ちなみに、よく「昔の子どもはもっと大変だった」「俺の時はもっとつらい経験をした。今の子どもは生ぬるい」とか言う人がいます。人間誰でも、過去の自分の経験は肯定したいのです。なぜなら、それをしないと自己否定につながるからです。
私は自分と同じような経験を子どもたちがすべきだとは思いません。
私の場合は、社会に出て荒波に多少もまれてやっと自立心みたいなものが芽生えました。
それよりも教育現場の中で、いかに自立心を芽生えさせるかが大事だと思うのです。
学校現場でいかに自立心を芽生えさせるか
学校教育の現場で自立心を養う子どもたちをつくろうと、実践しているのが教育家の工藤勇一さんです。
子どもたちが自律的になる。当事者になるという教育に力を入れています。
工藤さんは麹町中学校の先生だったときに、「宿題は3年間やらせない」「‟勉強しろ”は禁句」「担任制の廃止」「定期テストの廃止」「校則の完全撤廃」などを打ち出しました。
これらの手法は結構、キャッチ―で話題になりました。でもその目的は、決して話題づくりだけではなく、子どもたちに自己決定をさせるという経験を積ませることでした。
基本は子どもたちの自主性に任せる。そして、子どもたちが何かしたいといったときに、全力でサポートする。
それが一番大事だと思いますし、そのためには先生たちの働き方改革も進めないといけません。忙しい中でいかに子どもたちに寄り添う時間をつくれるか。ある程度、余裕がないと子どもたちの自主性が芽生えたタイミングに気づくことができませんので。
ICT化やデジタル化はそのための効率化のためのツールだと思っています。
やる気のない子どもが自主的に動くようになるための「3つの言葉」
ちなみに工藤さんは、やる気のない子どもが自主的に動くようになるための「3つの言葉」を提唱しています。
「子どもの自主性を重んじる=子どもを放置する」ってことではないのです。こちらから強制しない。それでいて、子どもがいったいどうしたいのかを探る。そのための働きかけを怠らない。そういった姿勢が大事であることをこの三つの言葉は示しています。
「やりたい」が「勉強」じゃなくてもいい
で、その結果やりたいと思うことが勉強じゃなくてもいいと思うのです。
良い大学に行くよりも、私は、自己決定するプロセスの方が大事だと考えます。
成績が良くて自主性のない子より、成績が悪くて自主性のある子のほうが私はこれからの時代を生き抜く術を持っていると思っています。
さっきも言いましたけれど、結局は「自分がやりたい」と思わなければ、モチベーションも上がりませんし長続きしません。
それにやらされてる以上は人に文句をいいます。自分で決めたわけじゃないから、あれが悪いこれが悪いと言い訳します。
とりあえず大学に行ったあとに、「あれ私ってやりたいことってなんだったっけ」と悩んで、自分探しの旅に出る大学生とかよくいますが…。
そもそも大学って自分探しをするために行くところじゃなくて、自分が学びたいものがあるから行くところのはずです。
じゃあ「やりたい」が見つかるためには何をするか。それはいろんなことを経験することです。学校の内外でいろんな人に会っていろんなことを学ぶことです。刺激をたくさん受けることです。
「ヤッチャの学校」の卒業生を見て思った。「キラキラした大人」の重要性
子どもたちに「やりたい」という自立心を芽生えさせるためには、なんでも頭ごなしにあれをやれ、これをやれというのではなく、しっかりと子どもたちを見守る必要があります。
そして、子どもたちを学校という枠内で教育するのではなく、地域のキラキラした大人や外の環境にいかに触れさせるかが大事だと思っています。
「ヤッチャの学校」という全国の大学生を対象にしたプログラムを私と同年代の杉本恭介さんが運営しています。
毎年、夏休みを利用して大学生が日南でさまざまな人とのふれあいを経験します。卒業生の多くは、日南に魅力を感じてくれていますし、日南に移り住んでいる人もいます。今年で9期生目ということで、息の長い取り組みです。
卒業生に「日南の何に魅力を感じたのですか」と聞いたところ、日南で出会った人たちとの交流や、地域で信念をもって働く姿のカッコよさを挙げていました。私はこれが大事な点だと思っています。
もちろん、日南という地域自体にも魅力を感じてくれているのでしょうが、大事なのは「人」です。
やりたいことをして生きるキラキラした大人。そんな大人たちの情熱的な背中を見せることが、子どもたちの「やりたい」を引き出す上で大事だと思うのです。
地域全体で子どもたちを育てていく
先日の出馬会見で、私が政策として挙げたのは、日南で活躍している起業家たちを集めた「日南スタートアップ戦略会議」の創設です。
ここがいわゆる「キラキラした大人」が集まる場所になればいいな、と思います。こうした大人たちと協力して、子どもたちが新しいことに挑戦するのもいいですし、その背中を見て学んでもらうことも大事だと思います。
教育が学校の中だけで完結するのではなく、日南全体がキッザニア(子供向けの職業体験型テーマパーク)のようになればいいな、と思います。
子どもにやりたいことを見つけさせる前に、まずは大人たちが「やりたい」を実践しましょう。勉強するのは子供だけではありません。大人だって先の見えない時代、勉強を重ねないといけないのです。自戒も込めて。
私の背中を見て、地域のために頑張りたいという子どもが増えてくれたら、こんなにうれしいことはないですね。
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