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【後編】Life Quest~釜石で〇〇する人たちの多様な生き方~第5歩目「ロールモデルチャレンジ」×小菅 篤仁
本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくオンライン番組『Life Quest』の内容のアーカイブ記事になります。
今回は、2020年7月27日に実施された第5歩目「ロールモデルチャレンジ」に取り組む小菅 篤仁さんをご紹介します。実際の放送については、こちらよりご覧ください。
戸塚)次に小菅さんの人生について、転機となった部分を中心にお話し頂きます。
わたしのLIFE QUEST
セブンイレブン退職
小菅)僕は将来的にビジネスを立ち上げたり、自分のお店をやったりしたいという想いから、セブンイレブンを第一志望として就職し、実際にOFC(店舗経営指導員)になれた時はすごく嬉しかったです。
しかし、OFCになってみたらとても大変で、24時間365日何かトラブルが有れば電話が掛かってくるようなハードな世界で…。もちろん今は変わっていると思います!
数字のプレッシャーもすごく、初めての年末商戦の時期はとりあえず楽になりたいと常に思っていました(笑)
その大変さに慣れていくうちに楽しさや良さがわかって、首都圏にも戻ってこられたのですが、それでも退職に至ったのは、殆どの人があまりにもハードすぎて体か家庭を壊してしまうからでした。
10年という節目を迎えたこと、また、貯金もある程度あったのでそこからは新しい生き方をするために、フリーランスとしてチャレンジしていこうと思いました。
相当厳しい環境で鍛えられた分、色んなことができるし世界の広さを感じることができたなと。「自分の人生は絶対に自分で決める!」という決意するターニングポイントになりましたね。退職した後にやりたいことなどを考えるのが本当に楽しくなりました。
戸塚)転職されずにフリーランスを選んだのも、やはりそうした経緯があったからでしょうか?
小菅)サラリーマンとして給料も勉強させてもらったのですが、しかし会社に振りまわされて失うものも結構あったので、これからは全部自分で決めると決意しました。
平元)ずっと大手で10年間も働かれて、フリーランスになることへの不安がる中でも一歩を踏み出すというのは本当にすごいことですよね・・・!
小菅)大手で働いた分、失ったものも得たものもいっぱいあったのですが、このまま続けると間違いなく体を壊すなと思いました。
当時32歳でちょうど就職から10年目で一区切りだし、前向きに上司に卒業したいと相談しましたね。上司もいい方で快く送り出してくれました。
戸塚)なるほど。小菅さんのタフな部分はここで培われたということですね。
小菅)僕よりタフな方はたくさんいらっしゃると思いますが、タフな方にはいれたとは思います。
父親の急死
小菅)父は65歳の夏に亡くなりましたが、亡くなった年の4月で仕事を退職していたんですよね。
父はいわゆる団塊世代のバリバリ仕事をする世代で、仕事がなくなると急に家にこもってしまい、良くないと感じていた時期に突然母から「父が部屋で倒れている」と電話がかかってきました。急いで病院に連れて行くと脳内出血で半分脳死、回復しても半身不随で意識が戻っても植物人間という宣告を受けました。その一か月後に亡くなってしまい、精神的につらかったですね。
1.2週間前まで元気だったのに65歳で急死したというのを見て、当時42歳の自分も「あと23年後にこうなる可能性があるのか」と思いました。
また父親の死をきっかけに、「セブンイレブンをやめて、浮かれている生活のままでいいのか」「残りの23年間をどう過ごすべきなのか」と悩んだ時期でもあります。
そのタイミングで被災地に力を貸してくれと誘われ、必要とされるならもうひと頑張りしたいと思いましたね。そのために釜石市に来たのですが、父の死をきっかけに残りの時間どう生きるのかを考えなければ、もう一度頑張ろうとは思わなかったかなと。それが一つの大きな転機と思っています。
戸塚)迷いはありませんでしたか?
小菅)セブンイレブン時代にギリギリのところで色々やって達成感を感じていた分、退職後にお金も時間もあって遊んでいるだけの生活をしている時には意外とこういう生活もつまらないなと感じました。
その後、フリーランスとして一応仕事はしていましたが、その時期に父が亡くなるという出来事が起きたため、僕が必要とされる場所に行けるのであれば行きたいと思ったんですよね。
戸塚)先ほどお話いただいた「豊かさ」について、金銭的なものとは別の部分だというのは小菅さん自身の視点で感じたことだったんですね。
小菅)こういう感情の動きや仕事と地域の変更を踏まえたうえで、体験したものじゃないと本質的に理解できないという自分の哲学が作れてきたのかなと思います。
幸せや豊かさについても、こうした遍歴を経た中で違和感を覚えたというのが大きいですね。
事業立ち上げ
小菅)僕は個人視点の課題でも触れたように、いつかは自分で事業を立ち上げたいと思っていました。当時45歳の時で、ここが年齢的にもギリギリかなと思い、やるのだったらとことんやってみようかなと。
ただ順風満帆では決してなく、被災者の方の出店が優先で空きがないため、一度出店を断られたんですよね。その後、急遽空きができたのですが、事業計画上一か月で出店の決断してくれとのことでした。
そこでやるならとことんと、覚悟を決めて東京の家も引き払い釜石に移住しました。そうした覚悟を決めて態度で示すと協力者が出てきてくれて、地元の方もコーディネーター時代とはまた違う迎え方をしてくれたと感じました。無茶で大変だったけど、今に至るまで頑張れたし、人生のチャレンジの一つができたからやってよかったと思っています。
戸塚)もう一つ質問したいのが、事業が始まった三年経った今思う、しんどかったことは何でしょうか?
小菅)0から1をつくることですね。
セブンイレブン時代の大きな組織で新店を作るのと、個人が0から作るのは全然違うなと。思ってた以上に大変で、0から1を作れる人はすごいなという勉強にもなったし、今でも苦労しているところかなと思っています。
今では少しずつ0から1の部分はできてきていると思うんですけど、1から10にすることに頑張ってチャレンジしています。僕の中でロールモデルチャレンジの一つのゴールが家族を養えるところまで店を育てるというもので、みなさんに食べに来てもらったり、支えてもらったりしてやっと6割~7割に持ってこられたのかなと思います。
あなたにとっての釜石とは?
今面白い場所
小菅)「今」というのがポイントで、復興は一段落してこれから本当の経済の再編とかが始まると思うんですよね。
町としての0から1といったように、エネルギーがあって色んな新しいものが生まれている面白い場所かなって思います!
あなたにとって人生の道標は?
人生は自由。限界を決めているのは自分自身
小菅)人生は自由で、限界を決めているのは自分自身なのかなって思っています。
戸塚)小菅さんはひたすら限界突破をしているってイメージがありますね。
小菅)相当なレベルくじけています。実は、くじけているけど表に出さなくなったのもありますし、会社を辞める時も怖かったけど、実際に額縁をやぶってみると広くて意外と自由に何でもできるんだなって。今後は世界でもできるんじゃないかって思っている感じですね。
戸塚)次の5年また何があるか分からないですね!
平元)一歩を踏み出す勇気をもらえる1時間でした。どうしようかなって悩んでいる人の背中を押すような言葉ばかりだったと思います。
小菅)今それこそパソナ東北創生さんが学生インターンをしてらっしゃいますが、やはりそういうことをきっかけにアクションを起こすことが本当に大切だと思います。
戸塚)踏み出すことの大切さを小菅さんに教えて頂きました。小菅さん、本当にありがとうございました!
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