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【前編】Life Quest~釜石で〇〇する人たちの多様な生き方〜第12歩目「コーディネーター」×向野修得
本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容をnoteに転載しています。
今回は、2020年10月19日に実施された第12歩目「コーディネーター」に取り組む向野修得さんをご紹介します。実際の放送については、こちらよりご覧ください。
ゲストプロフィール:向野修得/広島県廿日市市出身ロースクール在学中に社会課題解決に関心を持ち、2011年5月に一般社団法人RCFに参画。東京勤務を経て、2015年より釜石にて岩手県内の事業コーディネートを担う。
高校生キャリア教育事業「釜石コンパス」の立ち上げ、釜石市でのラグビーワールドカップイベント民泊の推進、釜石よいさの運営事務局など、公私を問わず地域の取り組みを推進する。2020年6月に独立し、事業者支援などにも活動の幅を拡げ、将来を担う人や取り組みを応援している。
わたしの「コーディネーター」
コーディネーターとは
向野)まず、「コーディネーター」とは何かということですが、簡単に言うと調整をしている人たちというイメージなのかなと思います。また、それで留まるのか、それ以上の役割をするのかというところを一緒に話し合って考えていけたらなと思います。よくある定義ですか、Weblio辞書によると、「コーディネーター」とは、「いろいろな要素を統合したり調整したりして、一つにまとめ上げる係。また、そういう職業」ということです。まあ、例えば、よく我々の中で身近というとインテリアコーディネーターやブライダルコーディネーターが思い浮かぶと思います。インテリアコーディネーターでしたら、依頼者の生活スタイルであったり、家の空間などを把握しながら家具や配置をコーディネートしていく役割であり、ブライダルコーディネーターでしたら、結婚にあたりまして夫婦や家族の希望をとり、一生に一度の素敵な機会を演出していくというところの役割かと思います。この二つは、違う仕事ですが、共通しているところがあり、それがコーディネーターの要素だと思います。
向野)まず、最初にクライアントや関係者がどんなニーズや夢があるのか、しっかり聞いていくということ。これは引き出すという部分になります。
そこから私たちが持っている知識や経験、企業や団体が持っている技術や資源、また、世の中のトレンドに沿っていくということもあれば、地域の伝統やクラシカルの部分に沿うこともある。地域の状況、復興なのか過疎なのかなど、その地域状況を掛け合わせていくこと。
そして、それを一つの企画にまとめていくわけですが、単に一つにまとめるのではなく、「コーディネーター」というのは、依頼側に納得感を持ってもらうこと、伝えるというのも大切な要素なのかなと思っています。
最後は、それによってできましただけではなく、その実現を伴奏していく、しっかり見守り、支えていくということで一つの仕事が完結するのではないかと思います。 これを一言で表すと、私は、「コーディネーター」というのは、
希望を現実に導く伴走者
でありたいと思っております。
【事例①】釜石コンパス
向野)私が実際に何をしているかということですが、一つは釜石で行っている釜石コンパスという事業になります。これは、高校生のキャリア教育といいますか、高校生が多様な可能性、選択肢を持って高校生活を送り、羽ばたいていくのを応援するための仕組みづくりになります。
なぜ始めたかという背景事情はたくさんありました。その理由となった一つの印象的な言葉があります。それは、「あの子は数十年に一人だ」という言葉です。震災後、2012・13年あたりに復興支援で多くの人が釜石の若者支援をして下さっていました。その支援を上手く活かしながら、可能性を持って取り組んでいた高校生がたくさんいたのですが、地域の大人にこういった子達はまだまだでできますかねという質問をしたところ、「あの子は特別だ。数十年に一人だ」という返答がありました。私としては衝撃を受けて悲しいと思っていました。釜石が復興しつつあるとはいえ、人口も年々減少し、町の規模も小さくなっていく中で、その数十年に一人を待っている町、次にそのような子達が出てきたとき地域の大人たちが支えていけるのだろうか、と疑問を持ちました。子供たちの可能性を地域で育てていく、そういった土壌づくりが必要だと思ったことが私自身が釜石コンパスを始めたきっかけになります。
ただコーディネートとしては、私一人でできるものではなく、関係者のニーズをヒアリングをしてまとめ上げるということもしてきました。地域や支援する企業の方々が色んな関係者がこの取り組みには関わっており、それぞれのニーズや課題を下のスライドにまとめました。
向野)この3者、みんながみんな地域と向き合って、仕組みをつくっていくというのが私たちに課せられた使命だったと思っています。条件としては、「地域内外の社会人が参画できること」「学校の時間を利用して学内で実施すること」「全員にきっかけを提供すること」「一度で終わらないこと」主にこの4つを意識して釜石コンパスを作っていきました。
これは、その釜石コンパスの取り組みの写真になります。10人ぐらいが車座になって大人の話を聞いている風景ですが、案内人の戸塚さんにも参加して頂きました。
戸塚)釜石コンパスに参加して、大人側もとても試されているように感じました。10人の学生が集中して自分のことを見ており、その中で学生たちに伝えたいことであったりを真剣に向き合って話すというのは、私はとても難しく感じました。
向野)大人にとっても学びになっているということですよね。子供たちの支援で行ったことが結果として、関わる大人の為にもなったというのは、期待してた以上の成果が出たのかなと嬉しく思っています。この釜石コンパス5年目になるのですが、これをきっかけに自分でやりたいことを見つけたり、地域で活躍の場が広がっているのかなと思います。学生支援をしてくれる大人がいたということは、こちら側もとてもありがたく思っております。
東日本大震災を機に、釜石に来たからには、私が思っているのは、地域の人を育成していくというこの取り組み自体は、目的は高校生の育成ですが、この取り組みに参加した人たちの成長も導いていきたいということです。
ここからわたしのコーディネーターとは、という質問に話を戻すと、
希望を実現に導くと共に伴奏を通じて人を育てていく人
であると考えております。
ー後編は、向野さんご自身の人生について探求していきます。
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