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【中編】Life Quest~釜石で○○する人たちの多様な生き方~第1歩目「地方創生」×石井 重成

本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容のアーカイブ記事になります。
今回は、2020年5月18日に実施された、第1歩目「地方創生」に取り組む石井重成さんをご紹介します。実際の放送については、こちらよりご覧ください。

ー中編では、石井さんが釜石で取組んでいる地方創生について探求していきます!

私が取り組む地方創生

戸塚)わたしの「地方創生」ということで、ここでは、ゲストの石井さんが釜石で具体的に取組んでいる活動について、お話を深めていければと思っております。

【事例①:釜援隊】

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石井)釜援隊は、僕が釜石に行ってから、自分で作ってきた最初の大きなプロジェクトで、UIターン者のみなさんが中心なんですけど「はざまで価値を生む」というコンセプトで地域コーディネーターのチームを作ろうという企画です。震災復興のさなかにあった2013年当時は、市役所の予算が震災前の6倍に膨れ上がっていて、とにかくやることが多い。住まいの再建も必要だしコミュニティケア、産業振興ももちろん必要だし。一方で、市役所のスタッフの数って、震災前の1.3倍くらいしかなってないんですね。街づくりにたくさん隙間があって、この街づくりの余白をどのように埋めていけるのか、そんな視点がこの釜援隊の取り組みの起点になっています。

総務省の復興支援員という仕組みがあって、釜援隊に委嘱をさせていただいたみなさんには、フリーランスで個人事業主として、活動してもらう。独自のマネジメントシステムをもたせて。立ち位置が大事で、市役所の臨時職員さんでもないし地域の現場で好き勝手やっているだけの人でもない。まさにその中間に位置するような人たちを政策的に作っていくという試みだったんですね、振り返ってみれば。

戸塚)今までにこういう方はいなかったんですか?

石井)いなかったし、釜援隊がつくってきた世界観だと思います。

戸塚)釜石にいると、どこの分野にいても裏方的にというか釜援隊が入っているということを後から知ることも沢山ありますけど、具体的にどんなところで活躍してるんですか?

石井)釜援隊が取り扱うテーマって本当に様々で、復興住宅とか仮設住宅をエリアにしたコミュニティの再生とか次世代教育に取り組むメンバーもいれば、漁業とか林業といった一次産業の担い手育成や誘致とか、そこでのコミュニティ形成とか。あるいは、地場の企業さんと一緒に連携し6次化を進めていこうとか。

コミュニティから産業振興まで幅広いテーマを取り扱っていたりしますね。今でこそ、あくまで主体は地域の担い手の皆さん、地域の方々、釜援隊は黒子としてコーディネートに徹するという哲学は、2013年から継続しているもので、認知もしていただいているような気がします。

ただ最初は、釜援隊って覚えやすいじゃないですか、名前。地域コーディネーターってわかりにくいじゃないですか。何をやっているのかわからないって、かなりの頻度で色々お伝えいただいた機会もありました。

平元)釜援隊、何やってるかわかんなくないですか?

石井)今って、市役所の市議会の議会答弁で、水産をテーマにした答弁を水産課長がするときに、「釜援隊と協力して取り組みを進めていきます」みたいな答弁が普通になったんですね。これって地域のエコシステムというか生態系として、地域に馴染んできた証でもありますね。

最初は何をやっているのか分からない人たちというところからスタートして、2013年からやってますけど、「続けていくってことが解決してくれることもあるんだ」という実感値を持つ機会にもなりました。

戸塚)それは、どれくらい経ってから実感しました?馴染んできたなというのは。

石井)4,5年くらい?

戸塚)石の上にも4,5年みたいな。ありがとうございます。釜援隊だけでも話を進めたいところではあるんですが、次の写真にうつらせていただきます。

【事例②:ローカルベンチャー】

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石井)ローカルベンチャーは2016年からスタートしていると思います。ローカルベンチャーのキーワードは、主語は街や地域ではなく、自分。自分を主語に事業を作っていくというのがコンセプトなんですよね。

釜石にある様々な地域資源を使ったり、あるいは釜石にいらっしゃる地域のパートナー、企業やNPOのみなさんと一緒に事業づくりや地域課題の解決に貢献するような取り組みを、自分が主語としてやりたい人に参画してもらうと。そんなコミュニティを作ろうというのをこの何年かやっています。

今日久々に赤Tを着てるわけですよ。よく着てましたよね、このTシャツ。しょっちゅう色んなところに行って、ご案内をして。これを何年かやってみて、確かに生まれたこと起きたことって、ありますよね。

仲見世という年間五万人くらい訪れる観音様の麓の商店街に、コワーキングスペースやゲストハウス、カフェが出来たりとか、あるいは木材を使ってキッチン用品や家具を作ろうという取り組みが生まれたり、釜石の防災をインドネシアに出していこうとか、きっとこのローカルベンチャーがなかったら生まれなかったご縁、機会、プロジェクト、事業がたくさんあって。ある種、震災復興、復興支援という、その地域をお手伝いしたいっていう気持ちから釜石に関わってくださる方が、元々たくさんいて、復興支援という言葉では人が呼べないってなっていく時代のちょうど境目に、自分を主語に釜石と地域に関わる取り組みとして、ローカルベンチャーが機能してきたんじゃないかなと思います。

戸塚)わたし自身も事務局として一緒にやらせていただいてますけど、始まった16年の頃はちょうど過渡期。復興支援で来た方が、任期が終わって帰らないといけないんだけど、「まだ釜石で何かやりたい」という想いを持って参画する方も結構多かったように思えますし、最近はいって来る方だと、そういった背景がなく「何か挑戦できるフィールド」が釜石にあると思って来る方が増えてきて、時代の流れを感じます。

平元)「地域おこし協力隊」のようなフレーズで活動している地域はたくさんあると思うんですけど、結構地域に身を捧げるようなイメージを持ちがちだと思いますが、釜石のローカルベンチャーコミュニティは自分が主役になれる、且つ地域も良くなるというのが、すごい面白い取り組み。

戸塚)石の上にも5年という意味では、続けていくうちに来年、再来年とローカルベンチャーの意味がまた見えてくるのだと思います。

石井)これ5年やってみて、振り返って見えるものって絶対あると思うんで、このローカルベンチャーっていう取り組みが、釜石にとって何だったのかっていうのは、そのときにまた配信しましょう。

【事例③:KAMAISHIコンパス】

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戸塚)最後3枚目、これはKAMAISHIコンパスの写真です。

石井)(この写真は)釜石高校の高校生の皆さんと、隣に写ってるのは地元で震災後に新規で水産加工メーカーを創業された社長さんですね。

戸塚)釜石で非常に有名な社長さんですね。これはどうして、こういう面々で写真を撮る形になったんですか?

石井)結構毎月のように学校に行ってるんですね。釜石に2つ高校があって、年7回とか8回とか、5時間くらいの授業の枠をいただいていて、そこで地域内外の大人たちが、20~30人学校に行って、高校生10人くらいの小グループになってもらって、「なぜその仕事をしているのか」「なぜ今そこにいるのか」といったテーマを大人と高校生が同じ目線で話すというプログラムを4年強やってきた結果があります。

平元)私も参加しましたが、実に大人の方が学びが多い場だと感じました。自分は高校生の時に大人と触れ合う機会がなかったので素敵な企画だと思いました。

石井)元々コンパスを始めたきっかけとしては、オープンシティっていう戦略を作るときに、50人のチームワークショップっていうのを何回かやっていて、そこで一番あげられた意見の一つが、進学や就職で釜石を出る高校生が、釜石のことを全然知らないと。釜石の企業のことを全然知らない。だから帰って来るっていう気持ちが育まれないと言う大人たちがめちゃくちゃいたんですね。

じゃあ、一緒に学校行きましょうよ。っていうのがほんとの起点になっていて、もう延べでいうと大人講師が600人くらい。高校生は3500人とかが参加している。毎年色々意識調査をとっているんですけど、始める前と今直近で比べると、「将来は釜石に戻りたい」と回答してくれる高校生が10ポイント強くらい増えてるんですね。

中長期的に見るとU・Iターンの施策にも繋がると思いますし、何より釜石に住んでいながら様々なロールモデルに出会うことができて、「自分の人生を自分で決める」という自己決定の選択肢を並べる部分と、選択する基準を研ぎ澄ます手伝いをしたいという気持ちが中心にある取り組みです。

戸塚)ありがとうございます。事例①~③のお話いただいてたのが、よそ者が地域に入って来るっていう部分と、あとは釜石コンパスとかまさにですけど、地域の若者が育っていくところに対して、両方に対するアプローチで街を開いていくっていう取り組みを具体化されていらっしゃるのかなというところを見てきました。最後に石井さんのにとって釜石でやっている地方創生はどういう考え方なのかってのを一枚にまとめていただいてますので、是非説明をお願い致します。

~地方創生をどのように考えるか~

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石井)秩序と混沌という話があって、新しい秩序は混沌から生まれるっていうことです。これ中越の震災復興で様々な取り組みを長年されてきた方とお話しする中で、本当にそうだなって思って。

地域をフラスコの中の物質に例えると、元気がなく活性化もされていない地域はこの物質が沈殿している状態であり、確固たる秩序があると。

そこに震災のような大きい外圧が加わるとフラスコが揺れ、外に出ていく物質もあれば、たくさんの物質が中に入ってくる。これまでなかった物質が入ると、それが触媒になって化学変化が起きるんですね。新しいプロジェクトや新しい考え方や行動様式が生まれるような感じ。そこは混沌としていて、今日言っていたことが明日正解とは限らない、そんな世界観になる。

時間の経過とともに物質は再沈殿し、また新しい秩序が生まれるけど、この秩序は震災前の秩序とは別物なんです。なぜかというと沈殿している物質のバラエテイやダイバーシテイが違うからです。ただ、これは何もしないと沈殿していくだけなんで、意図的に新しい触媒をどうしたら入れ続けられるのかを考えることが必要です。

政策的に混沌を生み出し、秩序をつくり、
  そのサイクルを良質に回していけるのか

僕のイメージする地方創生って、本質的にはこういうことなんだなって思っています。

戸塚)その混沌を生み出すというか、作り出すということが必要。

石井)サイクルなんで政策的に混沌を生み出して、新しい秩序の形成をその地域の目線や土壌とか、タイミングにおいて必要とされている文脈を読み解くことが大事になってきます。

戸塚)サイクルの中で、秩序と混沌を生み出し続けていくっていう、そういった取り組みをおこなわれている。

平元)石井さんは、いっぱいかき混ぜてるってことですか?

石井)かき混ぜてるし、かき混ぜてる人たちに門戸を開くし、ある種秩序を作っていく役割もしていますね。

戸塚)今のコロナの状況とかって、政策的じゃない混沌がきちゃったみたいな状況だと思うんですけど、循環の中でどういう位置になってくんですか?

石井)震災に近いと思いますよ。外圧的に混沌が生まれていく。また新しい触媒が入ってきたり、変えざるおえない状況がたくさん生まれていく中で、どういう秩序を生み出していくか。

戸塚)秩序と混沌が繰り返されていく。その中に私たちが生きているということですね。

ー後編では、石井さんご自身の人生について探求していきます。

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