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たのしみは、和泉式部の情感豊かな和歌の世界へ

◇和泉式部は情熱的な恋歌だけでなく、詩情あふれる和歌も詠んでいます。

 さもあらばあれ くもゐながらも 山の端に 
 いでいる夜はの 月とだに見ば

  「どうなってもよい、恋しいあの方のお姿を一目でも見ることができるな 
 ら!あの遠い空の彼方の夜半の月が、山の端にちらりと出入りするときの  
 ように、たった一目でもいいのだから。」
 <校注・解説 新潮日本古典集成『和泉式部日記・和泉式部集』より>

 和泉式部の<感性=眼>は身近な自然や風景にも注がれており、和歌から
 詩的な情景が浮かび上がってきます。そして夜半の月を見上げる和泉式部
 の姿を想像することができます。しみじみと切なく、彼女の恋する気持ち
 が伝わってきます。

◇和泉式部の<感性=眼・耳>が美しい自然の情景を捉えています。

 人もがな 見せも聞かせも 萩の花 
 咲くゆふかげの ひぐらしのこゑ

 「本当の秋の心を解っている人がどこかにいないものだろうか。そういう
 人がいてくれたら、この萩の花の咲いている夕日のさす光景を、そして
 そこに響いているひぐらしの声を、見せも聞かせもするものを・・・」
 <校注・解説 新潮日本古典集成『和泉式部日記・和泉式部集』より>

 和泉式部の鋭く繊細な感性が、辺りの美しい自然の風景を捉えています。
 和泉式部がもの思いにふけり、和歌を詠む・・・詩情あふれる風景が想像
 できます。

◇庭の雪

 待つ人の いまも来たらば いかがせむ 
 踏ままく惜しき 庭の雪かな

 「待ちかねているあの方が、いまのいまにも見えたらどうしようか。
 たとえあの方でも、ふみ散らしてほしくない風情の雪の庭なのだから。」
 <校注・解説 新潮日本古典集成『和泉式部日記・和泉式部集』より>

 和泉式部の<眼>は風情ある雪の庭に注がれており、こころの優しさが
 感じられます。

◇身近に感じられる心情を和歌に詠んでいます。

 かぞふれば 年ののこりも なかりけり、
 老いぬるばかり かなしきはなし

 「指折り数えてみると、もう今年も残り少なくなってしまった。こう老い
 こんでしまうと、年をとるということほど、悲しいものはない。」
 <校注・解説 新潮日本古典集成『和泉式部日記・和泉式部集』より>

 「Me Too」と語りかけたい気持ちです。