アメリカのFBのセクシャルの種類は58種類|漫画『ラストジェンダー ~何者でもない私たち~』
今日の漫画は『ラストジェンダー ~何者でもない私たち~』です。
直球な描写に好みは分かれるかもしれませんが、考えさせれる内容でもあり、おすすめです。ぼくにとって読み進めるきっかけになったのは、1つのコマでした。
以前もnoteに書いていたかもしれませんが、おすすめの漫画を教えてもらったら、まずは買うことにしています。Kindleのレコメンドも同じですね。
事前にレビューを見ることもないので、本作のことも最初は「この絵のテイストか」「なるほど」と思っていました。
そこから「面白い」に切り替わった入り口があります。
日本でもLGBTQ+という言葉は浸透していますが、アメリカのFacebookのセクシャルの種類は58種類もあるんですね。すごくそれが新鮮に感じられて、続きを読み始めました。
ストーリーはオムニバス形式になっていて、人間の多様な在り方を知ることができる内容だと思います。一方で、言葉を知ることと、言葉に当てはめて分かった気になることは、全く別だということも再認識させられました。
最後に、本作から派生して考えたことを書いて終わりたいと思います。
突然ですが、人間は「自分のことが1番かわいい」という絶対的な前提を抱えていると思うんです。
例えば、相手に「大丈夫?」と声を掛けているときでも、深層意識では「本当にあなた大丈夫?私は大丈夫だけどね」と思っているんじゃないか、という話を聞いことがありました。相手のことを心配してはいるけれど、さらにそれとは別の概念で、自分自身のことが大切なんだと。
ここから考えたことが、2つあります。
1つめは、ジェンダーを取り巻く課題や捉え方について、結構難しいなと思っていることがあるんです。
例えば、SDGs、ダイバーシティの観点から、役員の比率も見直されていますよね。ある会社では、この先○年間で役員に昇進できるのは女性だけと聞きました。これに対してきっと「進め方が極端だ」という意見もあるだろうと思うんです。世の中で何かをやろうとすると、最終的なバランスをとるための過程がドラスティックになることも正直ありますよね。
2つめは、「認められる」ということについてです。
ぼくらは、ぼくらの世界でしか生きていないからこそ、人間の価値観って本当にそれぞれなんじゃないかなと思っています。結果として「当事者同士は納得していても、それを声を大にして言える環境がない」なんてことも起こりうるはずで、そういった葛藤が本作では描かれている気がしました。
本当は、当事者同士で認め合えればいいと思っていたはずなのに、社会的に承認されないと認められたことにならないような、どこかで他人の目を気にして、生きていかなきゃいけないような実態もあるんだろうなと。
こう考えていくと本作は、マイノリティの当事者と社会の線引きや、どちらか一方通行だけの理解では満たされないことに対して、一石を投じている作品なのかもしれません。
2022年春に発売予定の3巻で完結するそうなので、気になった方はぜひ読んでみて下さい。
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