スピッツが好きです。その2
自分はスピッツが好きです。大切なことなので、二度言います。
思えば自分は幼い頃から、承認欲求の塊だったように思われる。というか、目立ちたがりやだった。多分。
とにかく、ちょっとひねくれた解釈をしたり、相手の意表を突く言動にこだわったり、ひとがやることとちょびっと違うことをする。それでいて、大人に好まれるような「優等生」ぶるのも怠らなかった。全ては何かしら「すごい!」とかなんとか言ってもらうために。
結果残ったのは、他人に監視されていないと当たり前のことすらできない(やらない)、空っぽな人間である。大学生になり、親の反対を押しきってまで独り暮らしをさせてもらったものの、今は日常の家事すらろくにできず、勉学もサボりにサボって卒業単位が危ういなんて有り様である。なんとか単位をとっても、就職できる自信はない。アピールポイントがまるで思い浮かばない。今までのことがほとんど他人の期待ありきだったために、自分のうちから生まれたものがないのだ。
いや、どうでもいい自分語りは本当にどうでもいい。文章がおかしいが本当にどうでもいい。
本題は、ここから。スピッツが好きになったことは数少ない「自分のうちから生まれたもの」なのだ。誰かに誉められるためにやったことではない。しかも、この短い人生のなかでこんなに続いていることはない。飽きっぽい自分がこんなに長くひとつのものを好きでいられるなんて、かなりレアである。それはスピッツが魅力的なのであって、自分が何か偉いわけではないのだが。とにかくスピッツは自分のかけがえのないアイデンティティなのだ。
ついこの間エレキベースを購入してしまった。スピッツの曲を自分で演奏するためだ。自分は好きになったらそれになりたくなるタイプ(コスプレイヤー的なのかな)なのだ。まともに弾けるようになるまでどれくらいかかるのかわからないが、魂を注ぐつもりだ(少なくとも今はそう思ってる)。
まず、何かしら夢中になろう。好きなものを好きでいよう。自分を好きでいるためにも。
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