両手を上げているお化け、メンダコに見える(2023/09/11)
両手を上げたおばけはメンダコに似ている。最近の気づきって何かあったっけな、と思ってメモアプリを開いたら真っ先にこのメモが目に入ったので絵にして今日のサムネイル(違う気がする、なんて言うんですかこの画像のこと)にしてみた。似てませんか?
ミルクレープ、「ミルク」×「クレープ」かなと漠然と思ってたけど、ほんとは「ミル(仏語で“1000”)」+「クレープ」でミルフィーユと同じ語の作りだった。ミルクレープとミルフィーユって単語が並んでるのを見て初めて気づいた。すげえ腑に落ちた。語源系の気づきは楽しい。
後期の履修登録、システムがまだギリわかってなくて怖い。まだ期間じゃないっぽいよね。……ね?大学という物の、ぼやっとしてると簡単に留年しそうな慈悲のなさが社会って感じで嫌。自己責任って嫌いすぎる。しかし人はこうやって大人になっていく。
昨日の夜、枕をいつもと反対側に置いて(=足と頭の位置を替えて)寝てみたら、新鮮さ故か、いつもより寝つきが良かった気がする。深夜で眠かっただけかもしれないけど。こうやって日々に新しさとか楽しさみたいなものをちょっと足すと、ルーティン的な動きから抜け出して一日の充実感がちょっとだけ増すかもしれない。ちょっとだけ。
唯一胸を張って「友達」と言い切れる友達がひとりいる。(それ以外の友達も友達だけど)彼女とは“気の遣い方”がすごく似ているなと思う。よく、仲のいい者同士であるほど気を遣わないものだ、みたいに言われているような気がするけど、というよりは仲のいい者同士ほど気の遣い方、つまり気遣いのレベルのようなものがお互いに同程度であるような気がしている。
仲のいい人相手には過剰に気を遣わなくなるタイプの人なら、同じくらい相手に気を遣わない人と仲良くなれるだろうし。
私たちはお互いが食べているパフェを味見のていで容赦なく食べるし、ここには書けないような内に秘めたる歪んだ感情を互いにさらけ出したりするし、相手のリップの色が似合っていないときは遠慮なくそれを指摘することができる。
が、相手のパフェを1口貰うときの“1口”の量はどのくらいだとか、1つの物事を2人で決めるとき(例えば2人で食べるメニューを1つ選ぶとき)の譲り方とか、相手の苦手なことを何も言わずに引き受けるところとか(私は電話が極端に苦手なので彼女が予約の電話をしてくれたりする)、そういう時々垣間見えるちょっとした気の遣い方が似ていて、それが一緒にいて心地いいと感じられる所以なのではないかと思っている。「親しき仲にも礼儀あり」ってこれのことなのかな。
阿佐ヶ谷姉妹が育てていると聞いて始めてみた豆苗栽培、収穫1回目の翌々日に(今日)カビた。水換えサボってごめん。と思ってたけど入れる水の量が多すぎて豆部分に水が触れてしまったのが敗因っぽい。次こそ負けねえぞの気持ち。
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