見出し画像

なぜゼルダTOTK(ティアキン)は面白いのか?私が考えるゲーム開発論

最近やっとゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムを再開しました。
買ったばかりの時は「これはハマると自己投資(スキルアップ)がぜんぜん出来なくなりそうだな・・・」と一種の恐怖観念に駆られやることを断念していました。

しかしこの度ある理由をきっかけに再開することになりましたので、その理由とプレイした感想を書きたいと思います。
そして「なぜティアキンは面白いのか?」を真剣に考察したいと思います。

また最後には私の現在のゲーム開発論を書き綴っておきました。稚拙ではありますがぜひ一読して頂けると(さらにアドバイスが頂けると)非常に幸いです。


1:世界観が最高に良い

まずプレイしてみて引き込まれたのは、その世界観です。

正直に言ってグラフィックはそんなにすごい綺麗だとは思いませんでした。
私は結構ガチなゲーミングPCを所有しておりそれでSteamのゲームをプレイするのですが、グラフィックに関しては最高設定にしたSteamのゲームのほうがぜんぜんキレイです。

しかし”キレイ”であるだけで世界観に引き込まれるのかはまた別の話です。
ハッキリ言ってただグラフィックがキレイなだけでは魅力的だとは感じません。

ただグラフィックがキレイなだけでは”視力が良くなった状態で画面を見ている”ような感覚になります。例えがよくわからなくてすみません。
対してゼルダのティアーズオブザキングダムは”少し視力が悪い状態で、ものすごく魅力的な世界を見ている”ような感覚になります。

なんとか伝わっていることを願います。

ティアキンはフレームレートも解像度もゲーミングPCでプレイするSteamゲームには遠く及びません。これは事実であり間違いないと思います。

ですが私はティアキンの世界観がSteamを含んだどのゲームよりも魅力的に感じました。
これは単純にグラフィックがキレイなだけでは魅力的な世界を創造することはできないことを意味しています。

ティアキンの世界に触れた時、私はその世界の空気までも感じた気がしました。もう少しでニオイまで感じそうでした。

一体どのような技術によってそう感じてしまうのか私には分かりません。
BGM、SE、オブジェクトの配置、ストーリー、キャラのセリフや性格などゲームを構成する要素は様々ですが、ティアキンはそれらが凄まじい水準でかつ絶妙な調理法によって料理されています。
グラフィックも決してキレイでないワケではありません。
むしろ”ゼルダの世界観の表現”という意味ではある意味キレイすぎない(ハッキリ見えすぎない)ティアキンのグラフィックは他の要素とマッチしているとも思います。

クッキリとし過ぎているグラフィックよりも、良い意味でクッキリ見えないほうが幻想的な世界観を表現するには適している気もします。
また温かい空気感も感じることが出来ました(それはまた別の要素も関係している気がしますが)

ティアキンの世界を見回したり歩いたりしている時、「マップがものすごく広いのにとりあえず作っている感がない」というのを常々思います。
岩や木や坂道などのオブジェクトの1つ1つに意味を持たせて”そこに”配置している感じが伝わってきました。

私がプレイしている時によく嫁も私のプレイを見ながらティアキンの世界に浸っていますが、嫁もまったく同じことを言っていたのがすごく印象的でした。

あれだけ広大なフィールドになるとどうしてもマップの広さ稼ぎの為に「とりあえずオブジェクトを配置してマップを広げる」というのをやってしまいそうなものですが、さすがは任天堂。そんなことは一切している感じがありませんでした。

「プロが作った作品なのだから当然」と思われる方もいるかもしれませんが、おなじプロが作ったオープンワールドでも「なんかコピペ感あるな・・」と感じる作品はままあります。というか昨今の広大なフィールドのオープンワールドゲームでその「コピペ感」を一切出さないというのが無理な話だと私は思います。

配置するオブジェクトの場所1つ1つに意味を持たせていてはハッキリ言っていつまでたっても開発が終わらない気すらします。
またほぼ間違いなくほとんどの会社が(特に任天堂のような丁寧な作品を作る会社は)マップを懇切丁寧に手作りしているはずなので、その労力は計り知れないものがあるでしょう。

そのうえでまったく妥協を感じさせない広大なマップ。

それこそがティアキンの世界観の根底を担っている。それは間違いないと思います。

2:ぶっ飛んだゲームシステムの数々

ウルトラハンドやスクラビルドは今作を語る上ではぜったいに欠かすことの出来ないものです。

他にもトーレルーフやブループリントなど個性的で面白いスキルはありますが、上記の2つが特にぶっ飛んでいるなと感じました。

そもそもこのスキルを再現する為のゲームシステムが開目検討つかないレベルなうえ、再現できたとしてもそんなぶっ壊れたスキルを所有しつつゲームレベルバランスを崩さないなんて到底不可能だと思えます。

”どんなオブジェクト同士もくっ付けることができる”

この”どんな”をやってしまうとバランス調整に掛かる時間が途方もないことになるのは想像に易しいでしょう。すべてのパターンの組み合わせを当然試すことになるので、そのパターン数が爆発的に増えてしまう今作のシステムはまさに鬼畜と言えます。

さらに本作はバグが非常に少ないことも驚きです。
複雑なシステムを作れば作るほどバグは多くなるのが自然の摂理といえますが、かつてないシステムを開発しつつバグをここまで抑えることができるのはさすがは任天堂と言わざるを得ません。
そして当たり前のように提供される”楽しい”

そう。ゼルダ・・というよりも任天堂のゲームは総じて楽しいのです。

他社のゲームのようにグラフィックがキレイ!とかマップが広い!みたいな感動よりも、単純に”楽しい”という感動のほうが圧倒的に多いと感じます。

歌で言うなら”上手い”じゃなくて”感情が伝わってくる”、人間で言うなら”見た目”じゃなくて”中身”でしょうか。

「結局のところココが大事」という要素がゲームで言うなら”単純にやってて楽しいかどうか”だと私は思います。

人はどんな瞬間に楽しいと思うのか?私のゲームは果たしてやってて楽しいのか?

そんなことを自問自答しながら日々のゲーム開発を進めていきたいと思います。

3:これからのゲーム開発について

まず最重要なのは「時間の確保」です。これに尽きます。
もう1つは上記でも触れた「このゲームは楽しいのか?」を常に考え続けることだと思います。

逆に言えばこの2つだけに集中していれば自ずと良いものは作れるのでしょう。

あえて後者の「このゲームが楽しいのかを常に考えること」を挙げたのは、とにかく時間を掛けて作るだけでは”単に頑張ってる感に酔っているだけ状態”にならないかを懸念したからです。

私はなんども過去に「とにかく頑張っている自分に酔っている」みたいな状況に陥ったことがありました。
これがなかなか気持ち良く、さらに自尊心が満たされるうえに自信の付くのです。
また何かに没頭するというのは謎の高揚感があります。

ゆえになかなかその状況を抜け出せませんでした。
いや、今も完全には抜けきっていないでしょう。

努力ができる反面そのような弱点が私にはあるのだと最近知りました。

ワルいことではないのでしょうが前に進む力は格段に遅くなるだろうと直感的に感じます。

とにかく闇雲に時間を掛ければ良いワケではない。

どんなに大企業が莫大な資金や膨大な時間を掛けたとしても必ずヒット商品が生まれるワケではない。
逆に個人でも低資金で大ヒット商品を作ってしまう人だっている。

もちろん運もあるでしょうがお金や時間を掛ければ必ずしもヒット商品が生まれるワケではないことを証明するには十分なエビデンスでしょう。

焦っても良いものは生まれない。それも最近よく思います。
努力をすれば良いと思っていると頑張っている間は常に成功に近づいている気がしてしまうもの。

でも実際はそんなことはないと思います。

目の前の強固な扉を破壊するのではなく、裏道を探したり門番を説得したり鍵を作ったり・・・
ゲーム開発にはそのような発想が必要なのではないでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!