言葉でのこす。

 わたしはなぜ書くのだろう。なぜ言葉でのこそうとするのだろう。

 子どもの頃、家族で出かけた場所、今日あったことを事細かに日記に書いていた。忘れてしまうのが不安で、本文と別にルビや注までふっていた。

 今思うと、幼少期の不安定な時期だったのかもしれない。しかしとにかく言葉にして書いてのこすことが、「消えることはない」という理由で安心の一助となっていた。

 言葉にしてのこすことにこだわるのは今も変わっていない。大事なことはその時だけで消えてしまう気がして、今でも書いてしまう。

 自分の書いたものを読み返してみると、十年前も今も大して変わっていない。人は変わらない、大事にしていることは変わらない。なぜわざわざ変える必要があるのか。きっとこの言葉も日記のどこかに書いてあるだろう。

 なぜわたしは、書き、のこすことにこだわるのか。それは、言葉は〈しるべ〉になるからだ。言葉は迷った時のしるべになる。言葉は今の自分のしるべでもある。

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