フリクションペン
わたしがフリクションペンを使わない理由は、かれこれ10年程前にさかのぼる。
当時は就職活動の一環でさまざまな企業のインターンシップに行っていた。その日は商社でもありコーヒーショップも経営しているある企業に訪問し、自社製品を知るために学生皆でコーヒーを挽いて淹れる体験をしていた。
班に分かれたわたしたちは、それぞれコーヒーの抽出をはじめた。目の前の勤勉な学生がフリクションペンでノートに逐一メモをとっていた。参加するだけ意義がある、などと思っているわたしとは大違いである。
わたしは彼の抽出の作業を見ていた。彼は慎重に丁寧に、焙煎され挽かれたコーヒー豆にお湯をかけていった。しかし何のいたずらか、彼は誤って手を滑らせて、自分のノートの上にコーヒーを垂らした。そして熱湯が垂れた部分だけ、魔法のように文字は消えた。
わたしはその時、フリクションペンは摩擦によって消えるがそれはつまり熱によって消えるということと、フリクションペンを使うのは止めようということを思ったのである。
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結局自分が就いた仕事ではフリクションペンが欠かせなかった。そのペンで書かなければ「なんでフリクションじゃないの!?」と怒声が飛んでもおかしくない現場だった。なぜなら、消せないと困るからである。
フリクションペンはわたしの人生において、ある意味印象的であり、それは今では仕事の相棒になっている。