言葉について考える。11 再び「パイドロス」、そして人類学からのヒント
あれからやっぱり「パイドロス」について考えている。
ソクラテスは「パイドロス」の中で知者タモスの言葉として、<文字を安易に使うことは危険である>と言った。タモス曰くそれは、文字は必要のない人のところまで広まり、あたかもそれを知っているような錯覚をさせるからだ。
この提言はわたしの中でつかえている。無視しては通れない。しかし克服するようなものでもない。向き合い続ける問いである。
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さて、何かを考える時、どうしても言葉なくしては考えられない。そしてそれは特に書き言葉なくしては難しい。いや、そもそもこの前提をソクラテスは問うているのかもしれないが。
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午後の仕事までの時間に『スピン』という雑誌を読んでいた。なんだか考えがまとまらないし、ものを書くにも進まないという時間だったが、ある記事が目に留まった。
何かのめぐりあわせかと思いながら記事を読んだ。山極壽一さんは霊長類学者で、「ゴリラ」に関する研究で知られている。この記事で言っていたことは、言葉が出現する前のコミュニケーションにおいては、身体の動きを観察し模倣することが重要だったということである。山極氏によれば、現代でもそれぞれの文化には、それぞれの「音楽的なリズム」がある。そしてこのリズムの共有こそがコミュニケーションである。
なるほど、何千年の時を経て、「パイドロス」で問われていることと重なる部分がある。文化の「リズム」を共有するには、確かにその時にその場所にいなければならない。ソクラテスが「対話」にこだわったのも、この理由なのかもしれない。
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